「あぶらんけんそわか~」 №471

 「あぶらんけんそわか~」
平成30年2月8日


 先達て年賀状で差し上げました初観音のご案内に「ひたすらに かんのんさまに 祈ること 幸あれそわか そわか幸あれ」という拙詠を書きましたね。そこには書けませんでしたが、「そわか」とは梵語「スヴァハー」の音写。真言や陀羅尼の最後に添えて言う祈願成就を祈る言葉で「幸あれ」という意味です。

 そうしましたら「“そわか”って幸あれという意味だったのですねー」とEさんからおたよりを頂きました。Eさん小さい頃、新しい靴を下ろす時いつもお母さんが「あぶらんけんそわか~」とおまじないを唱えてくれて「ケガなどしないようにだよ」と教えてくれたそうです。Eさんはそのお母さんが魔法使いのように思えて憧れていたとおっしゃるのです。

 伺っていい話と思いました。お母さんが言っていた「あぶらんけんそわか~」は胎蔵界大日如来のご真言で、辞典には「おんあびらうんけん」と出ていますが、そんなことはどうでもよいのです。大事なことは靴を下ろす時に娘が事故やケガに会わないようご真言に託すお母さんの素朴な祈りなのです。

 考えると、私たちは大いなる存在に対する素朴な祈りを失っているのではないでしょうか。前にも申し上げましたが、ご真言は「おん○○○そわか」となっているものが多いですね。観音さまのご真言もお地蔵さまのご真言もそうですが、この「おん」は聖なる存在への感動詞。その存在を崇め祝福するのが「そわか」なのです。

 私たち日本人は仏教を通して神仏への思いを深めてきました。人間の力の及ばぬ存在を知り、その大いなる存在に手を合わせ同時に自分たちの平安を祈ってきました。私たち人間が大いなる存在によって生かされているというのは千年前も今も変わりはありません。その大いなる存在に対して祈ることこそ私たちの務めではないでしょうか。

 人生は祈り、です。私はまだそれに徹し切れていません。たとえ悪いことが起きても祈りなのです。私はEさんがお母さんの“おまじない”をよく覚えていて下さったと思います。それはEさん自身が祈りの心を持ち続けていて下さったということでしょう。文字通り有難いことと思います。合掌。
 

  「熊野権現のお罰あらんこと、
   疑いあるべからず、
   おんあびらうんけんと
   数珠さらさらと押し揉んだり」
           ~勧進帳~


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