春よ来い №472


春よ来い
平成30年2月16日


一、春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが
  赤い鼻緒の じょじょはいて  おんもへ出たいと 待っている
二、春よ来い 早く来い おうちのまえの 桃の木の
  蕾もみんな ふくらんで はよ咲きたいと 待っている

 作詞相馬御風、作曲弘田龍太郎。ご存知「春よ来い」です。この歌、皆さんも子供時代よく歌った懐かしい歌だと思います。「赤い鼻緒のじょじょ」なんて今の子どもたちは見たこともないかも知れませんが、この曲が誕生した大正12年はむろん、私が子供だった昭和20年代は春を待つ心も情景もこの歌の通りであったと思います。

 いやまた何でこの歌かと申しますと、この冬の寒さ皆さん一様に厳しく思われたのでしょう。一月来、頂いたたよりの何通かに「春よ来いの気持ちです」とあったからです。皆さまも同感でしょうが、確かにこの冬の寒さは近年稀れと言ってよいものでしたね。居すわり続けた寒波が例年にない寒さと豪雪をもたらしました。

 福井ではその雪のために亡くなる人があったり食糧の流通が停滞したりしましたが、それらを聴く度に自然の脅威と人間の無力を思わずにはいられません。それだけに冬の寒さを思い知らされた人間が春を待ちわびる心をこの「春よ来い」に託すのは願いというより祈りと言ってよいのではないでしょうか。

 そう言えば、この「春よ来い」にはエピソードがあります。23年前、平成7117日の阪神淡路大震災の時、ある避難所のおやつの時に流されたこの歌に一人が身を乗り出し、何人かが口ずさみ、やがて全員の合唱になったというのです。寒中さなかに住む家を失った人たちがどんなに春を待ち望んだか察して余りあります。

 作曲の弘田龍太郎は唇に歌を持つことの大切さを曲そのものに語らせる人だったと言います。また作詞の相馬御風も名を残すことには淡白で郷里の糸魚川に引き揚げてからは「大愚」と号して良寛さんのように村の子どもたちと無心に遊んだと言います。弘田龍太郎そして相馬御風、稀代の二人があってこその名曲でありましょう。
 


「唇に歌を持つ限り、
 人は心に太陽を持つことが出来る」
        ~弘田龍太郎の信念~


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