「原子野の少女は母」 №475


「原子野の少女は母」
平成30年3月12日


 些か旧聞で恐縮ですが、先々月126日の毎日新聞一面に「原子野の少女は母」という写真入りの記事がありました。記事には194589日、毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男記者が取材中に撮影した少女の写真、そして、その少女が24歳になった時というもう一枚の写真があり、その横に「成人写真と一致、判明」という見出しがあります。

 伝えるところはこうです。被爆三日後の89日、上の国平記者が市内で撮影した当時10歳の少女が73年を経て藤井幸子(ゆきこ)さんという方だったと判明したというのです。被爆直後のことです。少女は大やけどを負った右手をかばうように持ち上げ、うつろな顔をカメラに向けています。傷だらけのその姿は悲しみを覚えさせずにはおきません。

 そして、もう一枚の写真はその少女の14年後、24歳の折の藤井幸子さんの写真です。微笑みを浮かべた美しいお顔から被爆直後の少女の姿を思うことは出来ません。しかし、戦後撮られた幸子さんの写真を所有していた幸子さんのご長男哲伸さんが毎日新聞の「広島原爆アーカイブ」で少女の写真を目にして「母親ではないか」と名乗り出たのだそうです。

 幸子さんは1977年に42歳で亡くなったそうです。その若さを考えると、やはり被爆が影響しているのでしょうか。それは私の勝手な想像に過ぎませんが、いずれにしても被爆直後に撮られた人が特定できたのは極めて異例なことだそうで、広島原爆資料館はこの写真の常設展示を検討しているといいます。

 私はこの少女の写真は被爆の悲惨さを伝える大切な写真として多くの人が見るべきだと思います。戦争を体験した人たちが少なくなる一方の時代にあって戦争の悲惨さを忘れ平和への意識が薄れている今、奇しくも名前が特定できた少女の写真は戦争の悲惨を訴える指導者です。私たちはこの無言の指導を肝に銘じなければなりません。

 戦争や原爆の記憶の風化が切実な問題になっています。国の将来を決める政治家もすでにその大半が戦後生まれです。このままでは戦争をゲーム感覚で捉える人も多くなるのではないでしょうか。しかし、現実の戦争はゲームではありません。苦しみと悲しみがあるだけです。それを知るのは被害者への思い遣りなのです。


 
   「おにぎりをあげると
少女は笑顔を見せた」
     ~国平記者~


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