線香の煙 №486

線香の煙
平成30年5月17日
 線香の煙を見ていてふと思いました。この煙の昇り方は偶然なのだろうかと。むろん、線香の煙の昇り方は毎日違います。ある時は驚くほど高く真っすぐに立ち昇っていることがありますし、ある時はまるで雲のように中空に棚引いていることもあります。どちらもその姿を見た瞬間はハッとする思いがしてなりません。

 しかし、どんな昇り方であれ線香の煙の姿は偶然か必然かと考えると、私は偶然ではないと思われてなりません。線香の煙の昇り方はその時の室温や空気の動きのあるなしによるのでありましょう。室温は季節によってはむろん同じ季節でも毎日異なっているはずです。空気の動きは外に風が吹いているかどうかでも違うでありましょう。

 と考えると、線香の煙の流れる方向や高さはその時々の室温や空気の動きによって決まる。つまりは線香の煙の形は決して偶然によるのではなくすでに線香に火が付けられる以前に決まっていると言えると思います。煙がどんな立ち昇り方をするか、それはその日の室温や空気の状態によって必然的に決まっていると思うのです。

 線香の煙に限りません。私たちの人生に起きる様々な出来事についても同じことが言えるのではないかと思います。生きていれば私たち一人ひとりに様々なことが起きます。自分にとってよいこと嬉しいこともあれば困ること悲しいこと悔しいこともあります。それらの出来事を偶然と思うか必然と思うか、人それぞれだと思います。

 しかし、出来事を偶然と思うか必然と思うか、その差は大きいと思います。偶然と思えばよいことの時は喜ぶのはもちろんでしょうが、悪いことの時には運の悪さを嘆き怒るに違いありません。しかし、起こるべくして起きた必然と考える時にはたとえ不都合なことであってもそのことが持つ意味を考えるに違いありません。

 私は人生に偶然はないと思っています。自分の人生に起きることは必ず理由があって起きるのであり、その起きたことは必ず意味を持っていると思います。特に不都合なことこそが人に新たな境地をもたらすのではないでしょうか。必然の意味はそこにあると思います。人生は必然。珍重珍重。

   果三祇に満ちて道初めより成ず
   (無限の時間の修行の結果、
    道は初めより成じている) 
            ~大智禅師~

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