四情発散 №489

四情発散
平成30年6月6日
 いつでしたか、私たち日本人が泣かなくなったということを昭和の歌謡曲で振り返ってみたことがありましたね。その時思ったことは昭和30年代までの私たちはよく泣いていたのではないかということ。そして昭和40年代になると日本人はあまり泣かなくなり、泣くにしても声をあげて泣くことが少なくなったのではないかということでした。

 その折、申し上げたかどうか、私は私たち日本人が平成になってロボット化しているのではないかという気がしてならないのです。ここに言うロボットとは感情を持たないということ。ロボット化とは私たちが感情的でなくなり感情を露わにすることをしなくなる、もしくは露わにすることが出来なくなるという意味です。

この私の思いが僅かにでも当たっているとしたら人間としてそれは決して正しいあり方とは思えません。人間は基本的に生物です。感情を持った動物です。表題の「四情」は喜怒哀楽という意味の私の勝手な造語ですが、その喜怒哀楽を持った動物である人間がその感情の表出をしなくなったら“人間失格”ではないでしょうか。

 そうしたら先日の毎日新聞(H30.6.1)に作家の髙村薫さんが「失われた“身体性”」という一文を寄せられていました。髙村さんは「平成になって世界で一般化したネット社会のツール、SNSやゲーム、スマートフォンなどが地球規模、人類規模での“身体性の喪失”」をもたらしたと言われるのです。

 「ネット社会の拡大で現実と仮想の境がなくなって失われた身体性」について髙村さんは「自分自身に肉体があるのだから家族にも隣人にも世界70億の人にも肉体があるということを再認識する新たな理性が必要だ」とし「一人ひとりが自分の身体性と最低限付き合い、現実の世界の面倒くささと向き合う覚悟」の必要性を言われています。


 私はこの髙村さんのお考えに全く同感です。私流に言えば身体性とは四情、喜怒哀楽です。感情に素直に生きるということです。嬉しい時は笑い悲しい時は泣き悔しい時は怒る。感情に素直に生きることこそ動物としての人間のあり方ではないでしょうか。どうぞ皆さん、思い切り笑って泣いて怒って下さい。
 

  皆の衆 皆の衆 
 嬉しかったら腹から笑え
 悲しかったら泣けばよい
      <皆の衆・村田英雄>
 

 
 

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