師を語る №500

師を語る
平成30年8月12日

 私の師匠は福井県永平寺町にある天龍寺の笹川浩仙老師です。私はわが師は世界一の禅僧だと思っています。天龍寺は師匠が住職になってこれまで40年、毎朝の暁天(きょうてん)坐禅(朝一番の坐禅)はむろん、毎月一回の摂心(一週間坐禅)を続けています。暁天坐禅は修行道場なら当たり前ですが月一度の摂心を市井の寺がしているのは聞いたことがありません。

 私が師匠を世界一の禅僧と思うのは出まかせではありません。世界一を裏づけるように天龍寺には毎年ドイツフランスイギリスなど西欧諸国からの参禅者があります。外国の参禅者がない年はないと言って過言ではありません。それは裏返せば禅に関心を持つ外国人が日本のどこで真実の坐禅が行われているかを知っているからでありましょう。

 私は今から40年以上前、永平寺に参禅して師に出会いました。師は当時参禅者の指導に当たっておられました。参禅係録事、通称参録(さんろく)と呼ばれる役でした。「サンロク」という音が「サンゾク」を連想させるほど風貌からして怖い人でした。参禅に来てタバコ吸う人あれば容赦なく警策で叩かれました。“親切な指導”そのものだったのです。

 そんな師匠も若い時分は大変な暴れん坊だったと聴きました。得意の空手が仇となってお母上にご苦労かけたことも一度や二度ではなかったそうですが、やがて大学に入って師と仰ぐ酒井得元師に出会って一気にご自分のエネルギーの方向が180度変わったと伺いました。師のエネルギーのすべてが空手から坐禅に向かったのでありましょう。

 師匠は私の及びもつかないエネルギーを持っている人です。私はいつもその師匠のエネルギーの強さ大きさに圧倒されていますが、そのエネルギーの方向を坐禅に向けられたことが酒井得元師との出逢いであったとすれば出逢いというものが人の人生にどんなに大きな意味を持つかと改めて思わざるを得ません。

 師はこれまで何十人得度したでしょうか。師は望む者あれば得度することを全く厭いません。しかし、これは簡単に出来ることではありません。得度すればいつかそれが実を結ぶという確固たる信念と人徳がなければ何十人もの人を得度させることは出来ません。私不肖の弟子、師に出逢えたことに感謝するばかりです。九拝。
 
<師から頂いた言葉>
「池つくれば月宿る」
 

 
 

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