9条は「悟り」 №501

9条は「悟り」
平成30年8月15日

 今日は73年目の日本敗戦の日です。すでに戦後生まれの人が大半になった今、815日を敗戦という意識で迎える人はごく僅かになりました。それは裏返せば戦争の記憶が風化したということです。中には日本が戦争をしたということすら知らないという若者がいることを「それほど平和」と受け流してよいでしょうか。

 否否ではないでしょうか。戦争の記憶の風化は平和の危機です。日本は今明らかにその平和の危機の時になりました。3年前に成立した安保法制によって集団的自衛権の行使を容認したということは日本が再び戦争をする国になったということです。自衛隊が日本の軍隊として外国と戦争をするというのが集団的自衛権の行使なのです。

 そしてさらに現政権は憲法9条改憲を意図しています。9条に自衛隊を明記しようと目論んでいます。前にも申し上げましたがこれは国民を騙すやり方です。9条に自衛隊を付け加えるだけなら問題はないと思う人がいるに違いありません。しかし、そうではありません。自衛隊を明記すれば9条そのものがその意味と価値を失ってしまうのです。

 9条とは何か。そう問われたら私は「9条は日本国民の悟り」と答えたいと思います。昭和6年に始まった15年戦争は昭和20年の敗戦に終わりましたが、この戦争で私たちは戦争の悲惨と苦しみを味わい尽くし二度と戦争はしないという決意をしたのです。その決意は苦しみがあったからです。苦しみの果ての悟りだったのです。

 私たちはこの苦しみから生まれた悟りを忘れてはなりません。俗に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが戦争の苦しみはそれであってはならないのです。日本は再び戦争はしない、戦争のための軍隊や戦力を持たないという悟りを忘れてはならないのです。この悟りは日本が世界に誇るべき人類の悟りなのです。

 私たちはこれからも戦争が何であったのか学び続けていかなければなりません。戦争の悲惨を胸に留め続けなければなりません。戦争の苦しみと悲惨を忘れてはなりません。親から子へ先輩から後輩へ語り継いで行かなければなりません。平和を維持し世界平和を実現させるのは私たち一人ひとりなのです。
 
    平和の時には子が父の葬いをする。
    しかし、戦いとなれば父が子を
    葬らねばならぬのじゃ。
                     <ヘロドトス>

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