平成30年8月10日
いやはや今年も暑い夏です。夏の暑さ、年々厳しくなるような気がしていますが分けて今年はそれが痛烈に感じられます。皆さまも同じ思いではないでしょうか。しかし、異常なほどの暑さながら異常を脇におけば夏は暑いのが当たり前。暑いから夏だと言うことも出来ます。で、つくったのが8月法要の次の法語です。
炎熱焦地不知窮 夏の暑さは地を焦がし
意馬惑志不知終 我は迷いの中なるも
熱暑心猿是天然 ともに自然のなすところ
諸行真諦在迷中 真実まさにそこにあり
地を焦がしてやまない灼熱の太陽。そして尽きることのない煩悩。でも考えてみれば、暑いからこそ夏。煩悩無尽だからこそ人間。そこに不思議はありません。夏暑いのは当たり前。人間迷うのも当たり前です。そしてそこにこそ自然の真実、人間の真実があると言うべきではないでしょうか。そう考えていて上の法語をさらに進めた偈が出来ました。
夏在暑熱 暑いから夏
悟在迷中 迷うから悟り
照顧脚下 そう考えたら
人生在祈 祈るから人生
暑さの中に夏があり迷いの中に悟りがあるということを考えました。転句の「照顧脚下」は以前申し上げたことがありましたね。照顧脚下の本来の意味は脱いだ履物を揃えるということではありません。自分自身を振り返るということです。当たり前のことを考えたら私たちの人生は祈りにある。祈るから人生、ではないでしょうか。
真の祈りとは美味礼賛でも名利追求でもありません。私たち人間の勝手な願望を叶えることでもありません。自然の摂理、宇宙の真理に同化していくことです。それを具体化したのが坐禅です。私は「坐禅は祈り」だと思っています。自然の摂理、宇宙の真理に同化する行為が坐禅だと思っています。
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