神さまのお迎え №516

神さまのお迎え
平成30年12月1日

 お迎え現象に関連して前々号で神奈川のKさんのご感想をご紹介しましたが、その後、横浜のTさんが驚くようなお迎えの話を下さいました。Tさんはその体験から「生き方は死に方だと聞いたことがありますが本当にそうだと思いました」と言われます。私も全くその通りと思いました。伺った話をご紹介致します。

 Tさんが体験されたのはご主人の叔母に当る方、髙谷朝子さんとおっしゃいます。この方昭和18年、19歳の時から57年間、内掌(ないしょう)(てん)という宮中の祭祀を内から支える仕事をされてこられたと言います。Tさんがお手紙に添えて下さった髙谷朝子様のご著書「皇室の祭祀と生きて」(河出文庫)で私は初めて内掌典という仕事を知りました。

 髙谷様は先達てお亡くなりになったそうですが、その亡くなる日、「私は今日でおしまい。明日はありません」とはっきり言い、その後一人で静かに旅立ったと言います。Tさんはその時、部屋の空気が変わって何かとてつもなく大きなものを感じ、髙谷朝子様をお迎えに来たのは神様だったのではないかと言われるのです。

 私はそのことを伺ってそれは間違いなく神さまがお迎えに行かれたのだと思いました。それは頂いた本を読んで分かりました。髙谷様は本の中で「常に身を清めて素直な気持ちを保ちいつも神さまがお側にお出であそばします気持ちでお仕え申し上げますように上のお方様から教えられてございました」と言われています。これは修行に他なりません。

 内掌典として神さまに仕えることを御用と言うそうですが、髙谷様は「不調法のないようにと思うだけで精一杯。五十年が過ぎまして辞めさせて頂きます前ごろになって私自身も御用を体得させて頂きました。まさに一生の修練でした」と言われていますが、まさに神さまに仕えるという祈りの修行を一生続けられたのです。

 Tさんからのお手紙そして髙谷朝子様のご著書を読んで私は類まれな修行の人生を送られた方を知ることが出来ました。私も常々「人は一生修行」と申し上げていますが、髙谷様は素直な気持ちで神さまにお仕えするという修行の一生を過ごして神さまのお迎えを頂いたのです。まさに生き方は死に方。敬服珍重です。
 
  教えて頂く時は
  「必ず畏れ入りますと申し上げて
   素直な気持ちで自分を顧みます」
            ~髙谷朝子~
 

 
 
 
 

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