アナログ生活のすゝめ №519

アナログ生活のすゝめ
平成31年1月1日

平成最後の新年になりました。皆さまどんなお気持ちでこの新年をお迎え下さいましたでしょうか。平成という元号がなくなるという感慨をお持ちの方もお出ででしょうし、今年新たに何かを計画していらっしゃる方はその進め方について案を練ってお出ででありましょう。一年の計は元旦にあり、と言う通り年初の思いが大切だと思います。

 で、私もこの新年に思うことがあります。それが表題の「アナログ生活のすゝめ」。自分自身の反省を込めて、これを皆さんにも提案したいのです。でも、アナログ生活ってなに?ってお思いの方も当然お出でのはず。私が考えるアナログ生活とは何かということを申し上げたいと思います。

 アナログと言えばその反対のデジタルという言葉を連想する方が多いと思いますが、このデジタル、アナログを比喩的に考えた時、いま私たちの生活はデジタル化する一方ではないかと思います。例えば移動。歩いたら一日の距離を車なら一時間足らずです。という時代に遠い目的地まで歩くという人はまずいないと言ってよいでしょう。

 食事もそうではないでしょうか。食の給食化が急速に進んでいます。学校や病院、施設では給食が当然ですし、家にしても買ってきたものをレンジでチンが多くなりました。そして私がいま危惧しているのがコミュニケーションのデジタル化です。若い人たちのコミュニケーション手段はラインなどSNSが当然になっていると思います。

 私たちのコミュニケーションがスマホに代表される機器を仲介し、それが当然になるということは何を意味するでしょうか。それはいつしか私たちの感情の喪失につながり人間がロボット化するだけのように思えてならないのです。互いの表情を見ることなく画面上の文字だけによる意思疎通が私たちの感情を奪ってしまうと思えてならないのです。

 そこで私はこの際敢えて皆さんに提案したいのです。運動以外にも歩くこと。素材から調理する食事を意識すること。そして互いの意思疎通のためにSNSだけでなく会って顔を見ながら話をすること、たまにははがきや手紙を書くこと。これらは些か面倒なアナログ手段ですが、これこそ大切ではないかと思えてならないのです。
 
 
  道具は使うもの。
  道具に使われてはならない。
 

 

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