象徴天皇考 №528

象徴天皇考
平成31年3月14日
 日本国憲法は前文のあとに「第一章 天皇」があり、その第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とありますね。でも、皆さん、この「象徴」とは何かと考えたことがありますか。国の象徴、国民統合の象徴って何だと思いますか。

 日本国憲法が公布されて十か月後の1947年(昭和22年)8月に文部省によって発行された「あたらしい憲法のはなし」には、この象徴ということを「何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを“象徴”ということばでいいあらわすのです」と説明しています。

が、国がどんな状態であるかに関わらず象徴であるとすれば私はそこに違和感を覚えざるを得ません。同じ憲法が言う「国際平和主義」「民主主義」「主権在民」が日本であると言うならば天皇はその象徴として存在しなければならないと思うのです。そして国民はその象徴天皇に倣って世界平和と民主主義を守って行かなければならないと思います。

 しかしその一方、私は日本という国は憲法に言うことのほかに象徴とすべきものを持っていると思います。それは「祈り」です。日本という国は古来自然の恵みとその脅威に感謝と畏れを忘れずその思いを祈りとしてきたと思います。「祈りの国」として存在してきた日本を象徴するものこそ「祈り」ではないでしょうか。

 その意味で現天皇・皇后両陛下はこの30年間、象徴天皇として祈りに徹して下さったと思います。祈りの国日本の象徴として世界平和を祈り国の安寧と人々の幸せを祈り続けて来て下さったと思います。先達ての天皇陛下在位30年式典での「象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」というお言葉に頭下がる思いを禁じ得ません。

 陛下は上の式典の最後にも「わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と言われました。私たちはこの象徴天皇に倣って世界平和と人類の共存を祈りその実践に努めなければならないと思います。私は新天皇の時代になっても日本と日本国民が祈りの国祈りの国民であり続けることを願って止みません。
 
ともどもに(たひ)らけき代を築かむと
諸人(もろひと)のことば国うちに()
 
        ~皇后陛下~
 

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