花の教え №532

花の教え
平成31年4月8日

 花祭りのご案内はがきに「春うらら うららの春に 咲く桜 我も生きなむ 花の教えに」という拙詠を披露させて頂きましたね。あの歌の「花の教え」とは花祭りの教え、お釈迦さまの教えというつもりですが、もう一つ文字通りの花、桜の花の教えという意味も込めました。桜の花も私たちに大切なことを教えてくれているのです。

 桜は秋に落葉して休眠に入りますが翌年春に花を咲かせるためにはその休眠を止めなければなりません。その休眠打破に必要なのが冬の寒さだというのです。この冬はさほど寒くなかったためか鹿児島だかに花咲かずに葉っぱが出た桜があったそうですね。花が咲くためには寒さが必要って修行のように思われませんか。

    水在水中互切磋    水人すべて

    人在人中相琢磨    相見互いに

    水人万物共精進    心を磨く

    花咲辛抱苦労果    花は苦労の風に咲け

 水は様々な状態様々な場所をめぐります。水はある時は雲になりある時は雨になりある時は雪になります。ある時は清流になりある時は濁流になります。私たち人間もある時は笑いある時は泣きある時は怒り嘆きます。一生の間喜び悲しみを繰り返します。水も人もそして存在する万物はすべてそれぞれがそれぞれの修行をしているのではないでしょうか。

 思うのです。人間が自ら望んで生まれてきたとするなら私たちは人間に生まれてきたことに意味と価値があるに違いないと。桜が落葉と開花を繰り返すように、そして水が雲になり雨になり雪になり時には清流時には濁流となるように、私たち人間も時に笑い時に泣きながら生きるということが修行ではないかと。

 生きることには老いと病と死がつきものです。生きることには喜怒哀楽がつきものです。この老病死と喜怒哀楽に悩み苦しみ喜び悲しみ笑ったり泣いたりして過ごす一生。私はそれこそが人間の修行ではないかと思うのです。老病死に悩み苦しみ喜怒哀楽に素直に生きる。それこそが人間の修行だと思うのです。


  人身得ること難し

 仏法()うこと()れなり
         
         ~修証義~

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