人生は“庭掃き”だ! №533

人生は“庭掃き”だ!
平成31年4月17日

 私たちの毎日は掃除洗濯ゴミ出し庭掃きですね。掃除機で部屋をきれいにする。汚れているところがあれば雑巾で拭く。庭を掃いてきれいにする。ゴミは燃えるもの、プラスチック類、ビン缶等に分別して収集日に出します。それをしなければ家の中はたちまちゴミだらけ。あっという間にゴミ屋敷になってしまうに違いありません。

 寺も同じです。部屋掃除、庭掃き、ゴミ出しの毎日。庭掃きと言えば春のこの時期は新旧の葉が変わる時期とあって二本のクスノキが毎日大量の葉を落としています。掃いてる側から、掃いても掃いても、という言葉通りに葉を落としています。余談ながらクスノキは一年中と言ってよいほど次々に落とし物をしてくれますね。

 でも、掃いても掃いても落ちるクスノキの葉を掃いていて気づくことがありました。それは掃くという行為が無心をもたらすということです。ただ掃くという行為になり切った時は無心になっているということです。それはまさに三昧の境地です。王三昧と言われる坐禅より手っ取り早く三昧を味わえるような気がしてなりません。

 で、思いました。時々お話している「七仏通戒偈」のうち、諸悪莫作(悪いことはしない)、衆善奉行(よいことをする)は常識的な判断でもほぼ通用すると思いますが、自浄其意(自ら心を清くする)はどうしたらよいかとお思いになる方もお出ででしょうね。実は心を清らかにする手っ取り早い方法が上に述べたゴミ出し庭掃きなのです。

 ゴミ出し庭掃きに共通するのは「清らかにする」ということです。部屋や庭をきれいにするという行為がそのまま自分の心を清らかにしてくれるのです。ゴミ出し庭掃きイコール心の掃除なのです。お釈迦さまから箒一本を与えられた周利槃特(チューダパンタカ)が悟りを得られたのも庭掃きで心を清らかに出来たからに違いありません。

 修行中永平寺では毎朝法堂(はっとう)から山門までの雑巾がけがありました。また毎日午前午後草取りや庭掃きがありました。当時はそれら作務の意味が分かっていませんでしたが今にして思えばその作務は心の雑草心のゴミを取り除くためであったのです。そうです。私も皆さんもゴミ出し庭掃きに努めましょうね。
 
 
  人生はこんなものかとゴミを出す
          NHKボヤキ川柳

 
 
 
 

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