道徳以前 №545

道徳以前
令和元年5月16日

 先日、スーパーに行った時のことです。お母さんと一緒にきた2歳ぐらいの女の子がいました。嬉しそうにお母さんの手を握っている笑顔はお母さんへの信頼そのものでした。お母さんを信頼して疑うことを知らない無邪気そのものでした。その無邪気な笑顔に私も思わず笑みをこぼさずにはいられませんでした。

 人間は未熟状態で生まれてくると言われます。他の動物のように生まれてすぐに立ち上がって動くことが出来ません。3歳くらいまでは親の保護が必要です。子どもに対する母親の絶対の保護と母親への子どもの絶対の信頼が子どもを無事に成長させるのです。人類は誕生以来そうして子どもを育ててきたのでありましょう。

 しかし近年、別けて最近、親の虐待によって子どもが死ぬという事件が後を絶たない異常な事態になっています。つい先日も母親に放置された2歳の女の子が飢えと低体温症で亡くなるという痛ましい事件がありました。亡くなった子の胃は空っぽ。衣服もつけていなかったと言います。ひとり死んでいった子を思うとその不憫さにため息しかありません。

 いまこの日本はどうなってしまったのでしょうか。親の子どもへの虐待やネグレクトが特異な事件ではなくなっていることを考えると日本という国が異常化してしまったとしか思えません。今回の事件では子どもが泣き叫ぶ声を聞いていた人もいたのです。それでも助けられなかったことに異常化の一端を見る思いがしてなりません。

 これを正すにはどうしたらよいのでしょうか。私はまず第一に教育ではないかと思います。親の子どもへの虐待やネグレクトは道徳以前の問題でありましょう。地域共同体がなくなり家庭の多くが核家族という状況にあって地域の力も家庭の力も弱くなる一方のいま、この道徳以前の問題に関われるのは学校しかなくなりました。

人が社会生活を営む上でしなければいけないこと、してはいけないことを小学生のうちから繰り返して教えていくしかないと思うのです。社会生活最低限のルールを教えることによっていじめや虐待をしてはいけないことを学んでくれるのではないでしょうか。我が国はいまそれほど危機的状況にあるのだと思われてなりません。
 
人は一人では人になれない。
教えられ学んで人となるのだ。
 

 

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