また「新型出生前診断」 №543

また「新型出生前診断」
令和元年7月8日

 このたよりでも何回か取り上げた「新型出生前診断」(NIPT)について再度です。先月22日の毎日新聞によれば、厚生労働省がこの新型出生前診断のあり方を議論する初めての検討会をこの夏にも設置する方針を固めたということです。国はこの診断検査にこれまで何の対策も取ってきませんでした。遅きに失したと言えるのではないでしょうか。

 この新型出生前診断は2013年に臨床研究として始まり、昨年9月までの5年半で65000件を超える検査が実施されたと言います。しかし、この検査の問題は検査結果が陽性となった人のうち9割の人が中絶を選んでいるという事実です。結果としてそれは「命の選別」にほかなりません。この検査の罪深さはそこにあると思います。

 毎回申し上げていることですが中絶を選んだ人が責められるべきではありません。恐らくは皆さん苦渋の選択であっただろうと思います。しかし一方、そのことによってダウン症児として生まれるはずだった命が断たれたことを思わずにはいられません。それは障害者排除の考えにつながっていくのではないでしょうか。

 この検査がさらに浸透し誰でもが自由に受けられるようになったら陽性即中絶ということが当然になりはしないでしょうか。これから先あまたの障害や疾病が出生前診断で分かるようになった時、命の選別ということさえ思わなくなるのではないでしょうか。それは障害者のみならず高齢者など弱者の排除につながっていくのではないでしょうか。

 振り返ってこの新型出生前診断について言うならば、第一の問題は陽性者に対する援助体制が十分でないことでしょう。陽性であっても安心して出産し育児ができる援助制度があれば中絶をしない人も出てくるに違いありません。ドイツにはこれらの問題をクリアするための「妊婦葛藤法」があることを以前紹介しましたがわが国にはまだそれがないのです。

 科学、医学の進歩は日に日に留まるところを知りません。この新型出生前診断のように以前は知ることも出来なかったことが益々分かるようになるでありましょう。それが結果として神の領域を冒すことになるかも知れません。しかし、それは私たち人間にとって幸せなことになるのでしょうか。
 人間の不安は科学の発展からくる。
 止まることを知らない科学は
 我々に止まることを許してくれたことがない
            (夏目漱石)
 

 

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