真実のありか №548

真実のありか
令和元年8月10日

 当山口県は先月24日に梅雨明けしてから連日のように暑い日が続いています。その後各地で梅雨明けしていますから皆さんのところも暑い夏になっていることでありましょう。近年夏の暑さに参るばかりの私にとって秋風になるまでのしばらくは炎熱地獄と言ってもよいほど過酷な日と申し上げて過言ではありません。

     炎炎熱暑覆都城  町中暑さに覆われて

     一切森閑無音声  静まり返って音もなし

     一人吾佇立其中  ひとり炎暑に佇めば

     只知宇宙玄玄誠  そこにこそ見る宇宙の真理

 上はこの夏法要の法語ですが去年も今年もよほど暑さに耐えかねているのでしょう。今年の法語は昨年の法語と同趣旨のものになりました。動くものなく声一つ聞こえぬほど暑い真夏の昼下がり。陽は容赦なくあたりを照りつけて止みません。しかし、その熱暑の中に立ってみると、そこにこそ真夏の真実があると思われたのです。

 禅の言葉に「柳は緑花は紅」というのがありますね。春になれば柳は緑に芽吹き花は紅に咲きます。そこに何の不思議もありません。しかしその当たり前のことに改めて気づく時当たり前のことが世界の真実を示していることを知ります。夏は暑く冬は寒い。その当たり前のことを改めて知るとそこに真実をみることができます。

 道元禅師が五年にわたる宋での修行を終えて帰って来られた時言われたのが「(山僧)天童先師に(まみ)えて(がん)(のう)()(ちょく)なることを認得して人に(あざむ)かれず。すなわち空手にして郷に還る」という言葉でした。この眼横鼻直(人はみな眼は横に鼻は縦についている)も当たり前のことに真実を見出した言葉に他なりません。

 悟りというと、私たちはそれが特別な時間や空間にあるように思いがちですが決してそうではありません。ご案内の葉書に「さとりとは 夏は暑いと 気づくこと 小さな気づき 重ねゆくこと」と書きましたが、悟りというのは何でもない日常にこそあるのだと思います。その日常を注意深く過ごすことこそが大切ではないでしょうか。

 
誰もみな春は群れつつ遊べども
 こころの花を見る人ぞなき
        ~ 夢窓国師 ~



 

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