令和元年12月17日
先日のこのたより「祭りの晴れ着」でハレとケのことを申し上げましたらそれを読んで下さったMさんが「その言葉初めて聞きました」と感想を下さいました。ハレとケという言葉、初めてとおっしゃる方多いと思います。それも当然と思います。この言葉、民俗学には残っているでしょうが日常的には死語同然になりました。
先日のたよりではハレとケを非日常(ハレ)と日常(ケ)だと申し上げました。往時の私たちの生活にはハレとケという対照的な二つがありました。端的に言えば盆と正月がハレの日、それ以外がケの日。一年はそれで過ぎました。個人的には生涯に宮参り、七五三、成人式、結婚など冠婚葬祭がハレの日としてあったのです。
往時の人々の一年と一生はこのハレとケという日常非日常が根底にありました。ハレの日を楽しみにケの日の仕事をしていたのです。信じられないかも知れませんが往時は赤飯はむろん白米でさえ普段はなかなか食べられなかったと言います。この一つをとってもハレとケがどれほど大きな意味を持っていたかということでありましょう。
そう考えると、往時の人たちにとってハレとケは一年一生のメリハリであったということができると思います。ハレとケが生活のリズムになっていたと言えましょう。そのことは農業を主体としていた時代には大切なことでありました。農業というお天気任せのきつい労働に耐えていくには必要なシステムであったと言えると思います。
振り返って現在の私たちの生活はどうでしょうか。いまハレとケという意識をもって生活している人は少ないと思います。一つには生活が豊かになって毎日の食事が昔のハレの日同然になったこともありましょう。しかしその結果、私たちは生活にメリハリを失ったと思います。ハレとケが持っていた喜びや楽しみを失ったと思います。
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