“コロナ焼死事件” №586


“コロナ焼死事件”
令和2年5月10日


 418日の毎日新聞に「コロナ禍 新居入れず 72歳男性仮住まいで焼死」という記事がありました。それによればその男性、松尾利明さんは30年来の念願かなって48日、宮沢賢治の記念館がある花巻市に引っ越してきたばかり。というのに仮住まいして二日後の11日、隣家の火事の類焼で焼死したと言うのです。

 松尾さんは移住予定のマンションにすでに2ヵ月分の家賃を振り込んでいたそうです。それなのに何故そこに住めず仮住まいをしなくてはならなかったのか。そこに今回のコロナ自粛があります。松尾さんが3月末、マンション住民の会合に出ると「今東京からですか」と嫌な顔をされ、大家からは「しばらく別の場所に住むように」と言われたというのです。

 その根底には(コロナ騒ぎのいま)東京からの人は来て貰いたくないという住民の共通した思いがあったのでしょう。それは市も同じだったのではないでしょうか。松尾さんが市に転入届を出そうとしたら「2週間後にしてほしい」と言われて出せなかったと言います。これは市の対応として正しかったでしょうか。

 松尾さんんはコロナで亡くなった訳ではありません。しかし、上の経緯が事実とすれば「コロナ関連死事件」であることは間違いありません。そしてこの事件の背後には今のような大変な時期に起こりやすい危険性が潜んでいることを改めて意識しなければならないと思うのです。今回の事件の後味の悪さにはそのことにあると思うのです。

 今回のコロナでは「自粛」が合言葉になりました。しかし、この自粛はともするとやり過ぎになったり跳ね上がりを生んだりしかねません。今回の事件はその危険性を示唆するものと思えてならないのです。国民全員が協力して、と言われる時には戦時中の「一億火の玉」の危険性が潜んでいることを強く意識しなければなりません。

 私の若い友人、ただ一人私を師匠と呼んで下さる方から先日「お上のお達しを受け国民が揃って従うという構図は師匠の忌み嫌うものではないかと…」と「自粛規制お見舞い」を頂きました。うべなるかなです。私たちは「自粛」が魔女狩りや非国民摘発になることを戒めなければなりません。


自粛規制が
 「大日本コロナ婦人会」
 になってはなりませぬ。

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