無 念 №591

 無 念

令和2年6月17日 

 今月5日午後、横田 滋さんが亡くなりました。拉致被害者の救出に半生、全力を尽くして来られましたが娘めぐみさんと再会することは叶いませんでした。めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから42年、その救出に必死の人生を過ごされてきたことを思うと願いが叶わなかったことにただ無念の思いを禁じ得ません。

 横田めぐみさんが拉致されたのは1977年、めぐみさん13歳、中学1年の11月でした。その日、めぐみさんはバトミントン部の練習を終えて家に帰る途中、新潟市内で行方不明になったのです。めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことは97年に韓国に亡命した元工作員がめぐみさんの拉致を証言したことで判明しました。

 この年、滋さんは早紀江さんとともに「拉致被害者家族連絡会」を設立してその代表となり、以来一貫して国や官庁などに真相の究明と被害者の救出を訴え続け、拉致が犯罪であることを批判してきました。しかし、めぐみさんとの再会は遂に叶えられませんでした。必死の努力が報われなかったことに無念しかありません。

 滋さんが訴え続けた通りめぐみさんは北朝鮮の犯罪行為で拉致されたのです。無念はそこにあります。北朝鮮という国が関わったことならば日朝両国の話し合いで解決が可能なはずです。北朝鮮という国が一筋縄でいく国でないことは無論です。しかし、両国が話し合いを重ねることができたら解決に近づくことは出来たはずです。

 安倍政権はその発足時から拉致問題を「政権の最重要課題」とし、「この内閣で解決する決意で取り組む」と言明しましたが、7年経った今なおその糸口さえ見えません。与党内には「安倍政権が敵視政策をとっていると見ている間は状況の改善はしない」という厳しい見方が少なくないと聞くと絶望的になるのは家族会の皆さまでありましょう。滋さんが亡くなる直前、早紀江さんが「お父さんは天国に行ける。私が行くまで待っていてね」と大声で呼びかけると滋さんは右目を少し開けて涙を流したようだったと言います。その切なさに涙の思いがしてなりません。拉致問題が解決し家族会の人たちが喜びに沸く日が来ることを願って止みません。

滋さんはめぐみさんからプレゼントされたくしを

いつも胸ポケットに忍ばせていたそうです。 

瞑目合掌。

 

 

 

 

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