祈りの路 №593

 祈りの路

令和2年7月7日 

 カミーノ・デ・サンティアゴ(聖なる巡礼路)と呼ばれるフランスからスペインに到る巡礼路があります。その距離1500㎞。ピレネー山脈を越えていく道は決して容易ではありませんがいまこの道を歩く巡礼者が年間35万人を越えるといいます。年齢も国籍も異なるこの人たちは何故歩き何を得ようとしているのでしょうか。

先月NHKBSでこの「聖なる巡礼路」を3回にわたって紹介する番組がありました。全行程を歩くとすれば何十日も要するこの旅の目的地はヤコブ(サンディアゴ)の遺骸があるというスペイン・ガリシア州のサンディアゴ・デ・コンポステーラ(星の野原)。そこに至るまで巡礼の人々はそれぞれの来し方行く末を考えながら歩いていくのです。

 ティエリーという46歳のフランスからの男性は心臓発作を起こして粒粒辛苦してつくり上げたレストランを手放す羽目になり、これからに何の目当てもないまま巡礼の旅に来たと言います。旅の初めは絶望のどん底であったに違いありませんが、旅の日を送るうちに顔にも生気が戻って来たように感じられたのは見ている者にも救いでありました。

 どこの国の人だったか、やはり46歳の女性がいました。その女性は全財産を持って家を出て行ってしまった夫、軋轢の末にやはり家を出て行ってしまった娘に悲嘆の思いで巡礼に来たということでしたが、旅の中で「私のために祈ってくれる人がいた。私は一人ぼっちではない」と気づいて自然と自ら祈る気持ちになったと言います。

 思えば、人の一生はよいこと嬉しいことばかりではありません。もちろん嬉しいこと楽しいこともあります。しかし、四苦という言葉通り、生きること老いること病気になること死ぬことはすべて苦であり時にはその苦しみによって絶望に陥りかねません。では人はどうすればその絶望や悲嘆から逃れることができるのでしょうか。

 サンティアゴの路を見ていて分かりました。絶望や悲嘆からの救いは祈りしかありません。心の傷になった絶望や悲嘆はその救いを神に祈るしかないのです。その救いは自らが気づくものかも知れません。しかし、その気づきに至るまでは神に祈るしかありません。私たちが祈りによって生きていることを知らなければならないのです。


巡礼には奇跡が満ち溢れている。

        <巡礼者の言葉>

 

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