戦後75年 №599

 戦後75

令和2年8月15日

      原爆忌75年の今年なお悲願のままの世界の平和

      年経ても癒えぬ悲しみ切なさにただ黙しおり敗戦の日

 今年戦後75年、上の二首はその原爆忌、敗戦の日の思いです。戦後75年という年月は決して短いものではありません。その年月が過ぎてなお上の思いなのです。

 いまから5年前、戦後70年の2015(平成27)年の9月、あの安保法案が自民公明両党によって強行採決されました。皆さまも記憶に新しいことと思います。安保法案は多くの憲法学者を初め元最高裁長官、歴代内閣法制局長らがこぞって「違憲」であることを主張しました。しかし、安倍首相にはそれを聴く耳がありませんでした。

 その安保法案では集団的自衛権が容認され自衛隊が海外に派遣される条件や規模が拡大されました。この二つによって日本は戦争をする国になったのです。9条という世界に誇る平和憲法を持ちながらその憲法9条をないがしろにする法案が安保法案でした。これを成立させた自公両党の罪深さは言を俟たずと言うべきでありましょう。

 皆さんは具体的にどうお考えでしょうか。もしアメリカがどこかの国と戦争になれば日本は安保法によってアメリカに加担します。それがたとえ後方支援であっても相手国は日本を戦争当事国とみなして日本を攻撃するでありましょう。その時再び核兵器が使われたらどんなことになるでしょうか。冗談でなくコロナどころではないのです。

 先日、ラジオ深夜便で硫黄島の遺骨収集に何度も行っているという男性の話を聴きました。その方のお父さんが硫黄島で戦死されたのだそうです。その時残されたのはその方のお母さんとその方を頭とする5人の兄弟。妻や幼い子どもを残し若くして死なねばならなかったお父さんはどんなに切なく無念であったでしょうか。

 その方は何回もの遺骨収集に参加して遺骨が「戦争は二度としてはならない」と語っていることを知ったと言います。戦争による一人の悲しみこそ平和の原点です。一人の苦しみこそ平和の原点です。戦争の悲しみと苦しみは人類の永遠の悲しみ苦しみです。私たちはそのことを忘れてはなりません。


戦争の悲しみ永遠(とわ)に消えぬなり

    その悲しみを平和の(いしじ)

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