ままならぬ人生② №598

 ままならぬ人生②

令和2年8月10日

 先日のこのたよりで週刊現代(627日号)の特集記事「ままならないのが人生」の中から田淵幸一さん、柳家三壽さんお二人の体験を紹介させて頂きました。その時のお約束に従って今回またお二人の体験を紹介させて頂きましょう。

 今回のその一はキリンビール元副社長の田村潤さん(70歳)の話です。田村さんは40代半ばの時に高知支店への転勤を命じられました。その時の高知支店は売上げワーストクラス。まごうことなき「左遷」だったそうです。一時は「もう大きな仕事はできない」という空しさに襲われていた田村さんですが、高知で宴席を重ねているうち「どうせ左遷されたのなら自分の好きなようにやって結果を出してやろう」と思ったのだそうです。

 それが心気一転でした。田村さんが支店のメンバーたちに自分の思いを伝えると、田村さんの本気に営業マンたちも仕事に力を尽くすようになってシェアはV字回復。ライバルだったアサヒビールに追いつき追い抜いたのでした。

 その時のことを振り返って田村さんは「置かれた場所での出会いに感謝し、たゆまずやっていれば、きっといいことがある。高知で得た教訓は生涯忘れません」と言います。余談になりますが3年前でしたか私が高知のお遍路に行った時、あちこちの酒店で「たっすいがはいかん(根性がないのはだめだ)」というのぼりを見ましたが、まさにその「たっすいがはいかん」という言葉こそ業績回復の合言葉であったのでしょう。

 ご紹介の二つ目は精神科医で小説家の(ははき)()(ほう)(せい)さん(73歳)です。帚木さんは61歳の時白血病と診断されました。その時担当医が「助かるかどうかは半々」というのを聞いて頭が真っ白になったそうですが、その一方「人生についてこんなに深く思いを致す時間はそうないのではないか」と気づき、入院している半年の間に小説「水神」を一気に書き上げたと言います。

 精神科医としての帚木さんはそれまで患者さんに対してなんの気なしに「頑張ろう」と言っていたそうですが、復帰してからは「めげてはいかんよぉ」とそっと声をかけるようになったと言います。それは病床の日々で「頑張ってもどうにもならないこともある」ということを痛感したからだそうです。珍重。


人生は何が糧になるか分からない

        <帚木蓬生>

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