「通勤ネコ」考 №606

  「通勤ネコ」考

 令和2年10月17日


 遥か以前のことになりますが確か週刊朝日に「デキゴトロジー」というコラムがあってそこに「通勤犬」なるイヌが紹介されたことがありました。ある家に飼われているイヌが昼間はよその家に行って日中一杯をそこで過ごし、夕方になるとまた飼われている家に帰ってくるという不思議な話でした。

 毎日通勤するという家が飼われている家と関係はなかったと思います。エサはどちらで食べていたのかは忘れました。日中過ごす家はただ過ごすだけであったように思います。ところで、何でその「通勤犬」のことを思い出したかと言いますと、いま寺に通勤犬ならぬ通勤ネコがいるからなんです。

 寺のネコの通勤の理由は分かっています。エサです。春ごろだったでしょうか。たまたま来ていたノラネコにエサをやったら、そのネコがエサ目当てに来るようになり、今では毎日来るだけでなく日中のんびりとくつろぎの時を持つまでになりました。夜はどこかに帰るのですからまさに通勤ネコでありましょう。

 その通勤ネコを見ていて私がいま思っていることは、そのネコの行動は何によっているのかということです。ネコも朝目覚めた時その日の予定を思っているのでしょうか。どうもそれはないように思います。まして一週間の予定を意識しているとは思えません。とすると、ネコの行動はその時々の衝動なのでしょうか。 

 野生生物に取っての最大事は生存、エサの確保でありましょう。野生のライオンは空腹でなければ狩りはしないと言います。となれば半野生生物のノラネコも一番の関心事はエサでありましょう。ノラネコにとって日々の行動は本能的なエサ探しであるに違いありません。それはそのまま本能的な瞬間を生きていると言えないでしょうか。

 今を生きる、という言葉があります。この言葉は自分の状況を見極めて生きよということですが、その生は実は一瞬の積み重ねです。ノラネコが瞬間を生きているように私たちもまた瞬間を生きているというのが真実ではないでしょうか。しかし、ネコとは違って私たちの瞬間は意識的でなければならないと思うのです。

一瞬の 積み重なりの 一日が

 やがて一年 一生になる


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