命なりけり №610

 命なりけり

令和2年11月17日

 この「命なりけり」という言葉で思い出す歌と言えば皆さまもきっと西行法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」を思い浮かべるでありましょう。「命なりけり」という言葉は西行さんの造語ではありませんが、西行さんのこの歌ほど「命なりけり」という言葉の響きを見事に表した歌はないと思います。

 それはこの歌が実際の歌だからに違いありません。さやの中山は今の静岡県掛川市から金谷町に到る山道で東海道の難所でした。歌は重源さんとの約束で大仏再建の砂金勧進のために再度陸奥に赴く道中で詠まれたものですが、時に西行さん69歳。23歳で出家してから行脚を続けていたとはいえきつい峠道に感慨ひとしおであったことは申し上げるまでもありません 

        冷涼一段白秋窮    秋一段と深まって

        石蕗凛凛咲寒風    凜と咲くつわぶきの花     

        今年今月共露命    今年もこうして会えたねと

        相知諸行無常裏    移りゆく世に思いを致す

 上の詩は今日の法語ですが、上の西行さんの「命なりけり」に思いを重ねて作りました。毎年この季節になると咲くつわぶきですが、この花が咲くと私は今年も会えたねという思いがするのです。冷たい北風が吹くころ、それも日向というよりはむしろ木の陰など日陰に凜と咲くこの花に魅かれるものを感じるのです。

 露命とは露のようにはかない命です。私たちは明日もあさっても変わりなく命が続いていると思っていますが、それは実は勝手な思い込みに過ぎませんん。それを思えば一年たって再び相まみえることができたということは奇跡と言ってよいのではないでしょうか。まして西行さんのように何十年も後に同じ道を踏んだ感慨は特別であったことでありましょう。

 命なりけり、という言葉にあるのは無常感でありましょう。私たちは無常の存在です。季節が移り変わるように私たちも年々歳々の変化を続けています。いえ年々歳々どころか瞬々刻々の変化を続けているのです。だからこそ貴い命貴い出逢いなのです。今日のいま今日の一日が再びはない時再びはない日なのです。


  一期一会

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