「コロナさん早く収まって下さい」 №609

 「コロナさん早く収まって下さい」

 令和2年11月8日

 神奈川県大磯町に住む孫娘が先日、遠足で隣町伊勢原市にある大山に行ったのだそうです。大山(おおやま)というその山は江戸時代から雨乞いの山として知られ、中腹には雨降りの意味の「阿夫(あふ)()神社」があり、門前に軒を並べる名物の豆腐料理の楽しみと相まって一年中観光客が絶えない観光名所になっているのです。

 ところで、本題は上の言葉。孫娘は阿夫利神社にお参りした時、「コロナさん早く収まって下さい」とお祈りをしたというのです。聞くところによれば、ほかの子どもたちはやれお菓子だやれ洋服だと欲しいものを口々に叫んでいたそうですが、自分はコロナさんが早く収まってくれるようにお祈りをしたというのです。

 ジジ馬鹿丸出しではありますが、私は孫娘のその言葉に正直大変感激でした。この孫娘は以前にも「じぃじ、コロナさんに会わないでね」と手紙をくれたことがあって、その言葉に教えられるものがありましたが、今回も上の言葉に改めて教えられるものがありました。それは人間の祈り。祈りの大切さということです。

 孫娘が祈った「コロナさん、早く収まって下さい」という言葉はコロナウイルスの撲滅を願ってはいません。私たちがコロナウイルスで苦しまないように静かにして下さいと願っているのです。先の手紙の「コロナさんに会わないでね」という言葉もそうですが「収まって下さい」という言葉はその根底に「共存」があってなのです。  

 今回のコロナで皆さんも21世紀のいまなお人間は自然の脅威に全く無力であることを痛感されたのではないでしょうか。突然のようにアマビエが出てきたのはその象徴であったと思います。台風の風雨にはむろん細菌より微細なウイルスの脅威に私たちがなす術を持たず祈るしかないというのが人間という存在なのです。

 孫娘が祈ってくれたようにコロナウイルスの蔓延が早く収まってくれることを望むばかりですがこれからワクチンや治療薬ができたとしてもウイルスが存在する限りは祈るしかないというのが私たち人間だと思います。唯一の方策は共存。私はそのことを再び孫娘に教えられたと思います。珍重。


ちっぽけな人間。ちっぽけな私。

 私はすべてのことに

 ただ祈るしかない。

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