「イスラム墓地」問題考 №611

 「イスラム墓地」問題考

令和2年11月23日

 先日(11/25日)の毎日新聞一面トップに「イスラム墓地逆風」と題するニュースがありました。イスラムの人たちがイスラムの教えに従う土葬墓地の造営を計画したところ、土葬に抵抗感を持つ地元の人たちの反対にあって計画がとん挫しているというものでした。いま日本に住むイスラムの人たちは土葬できる墓地がなくて困っているというのです。

 墓地に反対する人たちの根底には土葬になじみが薄くなったという時代背景があると思いますが、火葬が一般化したのはここ6,70年のことに過ぎません。子ども時代、土葬を見た方もお出でと思いますが、わが国でもちょっと前までは土葬が当たり前で私たちはその土葬に何の抵抗感もありませんでした。

 それはさておくとしても、「大地震の時遺体が出てくるのではないか」という反対理由は反対のためのこじつけのように思われてなりません。反対理由には「町のイメージダウンにつながる」というのもあったそうですが、まだその方が想定事項としては範囲内という気がしますが如何でしょうか。 

 しかしどちらにしても上の二つの反対理由の根底にあるのはイスラム人とイスラム教に対する不安と偏見が生んだ差別ではないかと思います。実体と現状を正しく理解しないまま生まれた不安と心配がもたらした差別ではないかと思うのです。私たちが最も避けなければいけない差別といじめではないかと思うのです。

 このことはコロナについても全く同じことが言えます。いまコロナウイルスに対する不安や恐れが誹謗や中傷、差別を生んでいることが大きな問題になっていますね。私たちはある特別な状況になるとそれに過剰反応してしまう危険性を持っています。正しく冷静な判断ができなくなってしまうのです。

 私たちがコロナに学んだ最大の教訓は「共存」だと思います。地球上の生物は共存するしかありません。もちろん人類もです。民族宗教文化の違いを認め合って共存することが不可欠なのです。私たちはそのことをコロナに学んだのではないでしょうか。「共生」の前に「共存」。いまそのことが強く思われてなりません。


それぞれが それぞれに知恵 出し合って

それぞれ生きる それが共存


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