横井庄一さんの教え №667

 横井庄一さんの教え

令和4年2月4日

皆さまご存知、横井庄一さんが昭和472月に28年間潜伏していたグアム島から帰還して今年50年だそうです。横井さんは平成9年に82歳で亡くなっていますが、帰国時の第一声「恥ずかしながら帰って参りました」という言葉は流行語にもなりましたね。あれから50年になるのかと感慨深いものがあります。

 余談ですが、当時私は雑誌記者として厚生省の記者クラブにおりましたので横井さんがジャングル生活で使っていた衣類や漁具などを内覧で見る機会があり、その出来栄えの精巧さに驚嘆した記憶があります。元々器用な方だったのでしょうが機織りした衣服や竹を編んで作った魚かごなど実に見事なものばかりでした。

 それはさておき、このほど横井さんが帰国してそのまま東京第一病院に入院した当時のカルテが見つかったのだそうです。そのカルテには米軍との戦いでは「ほとんど初日に所属部隊が全滅」という証言が記されているそうですが、この一言によっても日米の軍事力の差がどれほどであったか、その戦いが如何に悲惨であったかが想像されましょう。

 部隊壊滅という過酷な環境の中で横井さんはどうして生き残れたのか。カルテには生き残れた理由として「比較的年長者で、素質的に要求水準が低く、素朴な宗教心があった」という3つが医療チームの総括として記されているそうです。私は3つ目の「素朴な宗教心」ということにそれは何であったのかと強い関心を覚えました。

調べているうちにヒントがありました。横井さんは昭和59年に「横井庄一のサバイバル極意書もっと困れ!」という本を出されているそうですが、その中に「心底困り果てた時は神や仏が助けてくれる。本当に困らないと助けてくれない。本当に困り果てた人間には神や仏が知恵を浮かばせてくれるんだと思うよ」とあるのだそうです。


私は横井さんの素朴な宗教心とはこれだと思いました。神仏はいる。その神仏は本当に苦境にある人を必ず救ってくれるという確信こそがジャングルで一人生き残れた理由であったに違いありません。このことはすべての人に通じることと思います。神仏の存在を確信して祈ること。私たちもそれが必要です。


このごろの人は困り方が足りないんだと思う。

だからくだらないことで甘えるんだよ。

           <横井庄一>


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