「心の時代」考 №668

 「心の時代」考

令和4年2月15日

今年は2022年。21世紀になって20年以上が経ったことを改めて思っています。というのもこの20年余世界は平和への希望を見出せずにいるからです。いやそれどころか北朝鮮は言うに及ばず海洋進出を強める中国、軍事介入してウクライナを併合しようとするロシアなど世界が平和とは反対の方向に向かっているのが現実ではないでしょうか。

 21世紀を迎える頃、「21世紀は心の時代」になると言われました。「戦争の時代」と言われた20世紀が終わって人々が平和な心を取り戻し世界が平和になるとみんなが思いました。しかし現実はそうではありませんでした。2001911日に起きたアメリカ同時多発テロで爆破されたツインタワーの恐怖の映像は目に焼き付いて消えません。

 心の時代と言われた21世紀が何故そんな幕開けになってしまったのか。そして20年余を過ぎた今なお何故テロや差別、紛争がなくならないのか。そのことによって苦しむ人悲しむ人が絶えないことに悲憤を感じてなりません。そして思ったのです。「心の時代」とはこのことか。こんな今だからこそ「心の時代」かと。

 平和が叫ばれる時は実は平和ではありません。同じように心が叫ばれる時は心が貧しいに違いありません。私たちはいま心の豊かさを取り戻す時代に生きているのではないでしょうか。自分だけ自分の国だけよければよいという心を離れて互いに助け合って生きる心を育む時がいまではないのか。まさに「心の時代」ではないのかと思うのです。

 そう考えると、私たちはこの「心の時代」を大切に生きなくてはなりません。この地球には沢山の民族、沢山の国があります。人間ばかりでなく沢山のトリムシケモノサカナがいます。これら地球上の生物が共存共生していかれるように広く豊かな心を持たなければなりません。「心の時代」とはそのことではないでしょうか。

 今日215日は涅槃会、お釈迦さまの亡くなった日です。私たちは上に述べた「心の時代」にあっていま再びお釈迦さまの教えに帰るべきと思います。自らを律し戒を守って周囲と調和しみんな仲良く楽しく過ごすべきではないでしょうか。世界が不安に満ちているいまこそ私たちは共助共存の心を持たなければならないと思います。


こころの貧しい人たちは、さいわいである。

天国は彼らのものである。

        マタイによる福音書

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