人間の正体 №671

 人間の正体

令和4年3月11日

 当観音寺の2月の観音さまの会ではいつもの観音講に加えて涅槃会(ねはんえ)をしています。涅槃会というのはお釈迦さまが亡くなった日(215日)にその遺徳を偲ぶ法会ですね。この日はお釈迦さまの最後の説法と言われる仏遺(ぶつゆい)(きょう)(ぎょう)を読むことになっていますので観音寺でも涅槃会にはその遺教経(仏垂般(ぶっしはつ)涅槃(ねはん)略説(りゃくせつ)教誡(きょうかい)(きょう))を読むことをしています。

 その遺教は長文ですので当日は前半か後半のどちらかを読むことにしています。今年は一般に「八大人覚」と呼ばれている後半を皆さんと一緒に読みました。その遺教後半部を読んでいて改めて思うことがあったのです。それはお釈迦さまは人間の正体は霊魂、魂だと思っておられたのだろうということです。

 お釈迦さまがまさに滅度されようとする時お釈迦さまはこう言われたというのです。「我今滅を得ること悪病を除くが如し、此れは是、まさに捨つべき罪悪の物、仮に(なづ)けて身と為す、老病生死の大海に沒在す、何ぞ智者有って之を除滅することを得ること、怨賊を殺すが如く而も歓喜(かんぎ)せざらんや」と。

 お釈迦さまは私たちの身体を「まさに捨てるべき罪悪の物」と言います。そして死(滅度)によってこの体を消滅させることができるのは怨みのある敵を滅ぼすことができたように歓喜(かんぎ)(宗教的なよろこび)に値することではないかとおっしゃるのです。体を捨てること、死ぬことが歓喜に値するということに思わず「えっ」ではありませんか。



 私はお釈迦さまのこの言葉の裏にあるのは「人間の正体は霊魂」ということだと思います。人は体を持たなければこの世での活動は出来ません。人間として生きる時になくてはならないのが体です。しかし、その一方で体は諸悪を生み出し四苦八苦の元になります。お釈迦さまはその諸悪の根源たる体を離れて魂に還ることこそ喜びだとされたのでありましょう。

 以前申し上げましたね。私たちが目にしているセミやキノコはその生物の本来の姿ではありません。セミの本体は地中の昆虫です。キノコは大部分が担子菌であり、その子実体(生殖体)がキノコなのです。それと同じように私たち人間もその本体は霊魂であるというのが真実ではないでしょうか。


セミもキノコも実は「花」なんだよ

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