不垢不浄 №680

 不垢不浄

令和4年5月16日

 のっけからですが、花の散り方も色々ですね。先達て申し上げました桜のように咲いている時はむろん、花吹雪となって散ってからも花むしろ、花いかだと愛でられる花があります。と思えば、カンゾウのようにどうしてそんなことができるのかと思うほど見事に身をつつんで咲き終わる花もありますね。

その一方で桜とは真反対に思われてしまう花もあります。先日頂いたTさんの手紙にそれがありました。Tさんは毎年近くの寺にあるハクモクレンの花を楽しみにご覧になっているのだそうですが今年は咲くのが早かったのか、お出でになった時には池の水面を覆いつくすほどに散ってしまっていたのだそうです。

 その時、Tさんに思い浮かんだのは「無情、色即是空」という言葉だったそうです。純白で清浄な花を思っていれば当然でありましょう。茶色に変色した花の無残な姿を見てTさんは「こんな風に思いたくはないのですが、汚い!」としか思えず、同時にその様が「花の屍体のようで恐ろしく」感じられたと言います。

 Tさんは最後に「私はハクモクレンの何を見ていたのでしょう」と言われましたが、この言葉に私も改めて気づかされるものがありました。Tさんおっしゃる通り、散った花びらは花の屍体です。桜もハクモクレンも散った花びらは屍体です。花はどんなに美しく咲いても必ず散る時が来ます。それが無常。色即是空です。

 色即是空を言う般若心経に「是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。」という言葉があります。諸法空相とは一切のものは空ということであり、私流に空を無常と考えれば、一切のものは無始無終の無常です。そこに生滅はありませんし増減もありません。不垢(きれい)も不浄(汚い)もないのです。


 花が咲いてきれいと思い、散って汚いと思うのは人情です。人間の勝手な思い込みです。花は人に見せたくて咲いているのではありません。精一杯生きていることが花に見えているのです。つぼみが花と咲き花が散って実を結ぶ。それは無常です。人間にとって時に「無情」でもあるのが「無常」でありましょう。


花は苦労の風に咲け

        <人生一路>


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