春過ぎて夏来たるらし… №678

 春過ぎて夏来たるらし…

令和4年5月5日

 今日は24節気の立夏。春極まって夏が始まるという日です。毎年この時期になると決まって思い出す歌があります。万葉集にある持統天皇の歌です。

春過ぎて夏来たるらし白栲(しろたへ)の衣ほしたり(あま)の香具山

青葉で緑一色の香具山を背にひるがえる真っ白な衣が目に浮かびます。

しかしこの歌、山の緑と真っ白な衣という色の対比で季節感を表した単なる叙景歌なのでしょうか。私はどうもそれだけではないように思われるのです。作者持統天皇が意識していたかどうかは分かりません。期せずしてかも知れませんが叙景歌以上の意味、うがちすぎと言われればそうかも知れませんが無常の思いが込められているように思うのです。

 歌の初二句は季節の移ろいを言っています。次の三四句は時の流れに伴った変化を詠っています。春が過ぎて夏になり夏になると香具山を背にひるがえる真っ白な衣が見えるというのは爽やかな初夏の景色そのものではありますが、歌全体を通して感じられるのは時の変化、無常ではないでしょうか。そう考えていて詩一篇できました。

      白雲悠々逝大空    雲はゆったり空をゆき

      青山遼々去時空    山ははるかな時をゆく

      今日立夏無別事     夏立つ今日も事もなく

      空即無常色即空    無常のすべてが移りゆく

 大空にゆったりと浮かぶ雲は悠々と流れていきます。どっしりと動くことのない山も遥かな時の流れに身を委ねています。今日は立夏。と言って何がある訳でもありません。昨日は昨日今日は今日。一年のうちの一日が過ぎてゆくばかりです。あるのは無常、そればかり。ものみなすべて瞬時も止まらず過ぎてゆきます。


 以前、色即是空、空即是色ということを考えていて、これを「諸行無常」と合わせれば三段論法で「空即無常」が導き出されると分かりました。私たちは空なる存在。そして無常なる存在です。季節が移り変わるように一瞬一刻も留まることなく変化してゆく存在です。逝く雲に変わりません。流れる水に変わりません。ただそれだけ。


死ぬも生きるも ねえお前 水の流れに

 なに変わろ おれもお前も 利根川の

 船の船頭で 暮らそうよ  

             <船頭小唄>

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