お遍路で考えたこと② 日日是好日
令和4年7月16日
前号に書きましたが今回のお遍路3日間のうちの初日6月21日は雨でした。小月駅を午前8時に出ましたが、すでにこの時から雨でした。それほど強い降りではありませんでしたが移動中ずっと雨。柳井からフェリーで愛媛県の三津浜港に着いてやや小止みになりましたがその後も降ったりやんだりでした。
今回はバス遍路ですから雨でも支障はないのですが、とはいえ、駐車場から札所までは多少なりとも歩かなくてはなりませんから傘を差さずに済む方が楽なことは言うまでもありません。中には駐車場から何百メートルも歩かなくてはならない所もありますから雨でない方がうれしいのはもちろんです。
その時ふと「日日是好日」という言葉が思い浮かびました。この言葉は元々中国宋時代の仏書「碧巌録」に出てくる言葉だそうで、その意味は「毎日毎日が平和なよい日であること」だそうです。とすると、まさに今のウクライナ、アフガニスタン、ミャンマーなどは「日日是好日」とは真反対ということになりますね。
脱線して失礼しました。いまこの「日日是好日」という言葉はその日のお天気について言われることが多くなりましたね。申し上げましたように外での活動の時にはそれが楽に出来るようにと晴れの日を望み、その望みが叶えばやれうれしや好日好日と喜ぶのが私たちです。誠に勝手な解釈と言わざるを得ません。
考えてみれば、天気は人間の都合であるのではありません。人間の都合を忖度することは全くありません。その日の気象条件によって晴れたり降ったりするだけです。となれば、人間はその日の天気が自分にとって都合悪くても受け入れるしかないのです。
いまはどれだけの人がそれをしているかと思いますが「晴耕雨読」という言葉がありますね。晴れの日は耕し雨の日は読書と言うのは毎日の天気をそのまま受け入れるということですよね。人生のうちにはよい時も悪い時もあります。前号のように「まさか!」の時も必ずあります。それがあっての「日日是好日」でありましょう。
雨降れば雨に濡れ
風吹けば風に吹かれる
洋仙
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