お遍路で考えたこと④続・ルームキー紛失事件
令和4年7月18日
前号で私がホテルの部屋のカギを見失い、散々探し回った挙句に「こんなことってあるか」という結果になったことを申し上げました。実はカギは脱衣かごの隅っこにあったのですがそのかごを何度も見ながら見つけることができなかったのでした。
何度も脱衣かごを見ながらカギを見つけることができなかったのはカギが死角にあったからです。ということは自分では確認しているつもりで正しい確認ができていなかったということです。考えてみると私たちは日常物事を見ているつもりでいて見ていない、つまりは死角を無視して見たつもりになっていることが多いのではないでしょうか。
このことは単に見るということだけではなく思考についても同じことが言えるように思います。思い込み、早合点がそれです。自分一人がそれで間違いないと信じ切ってそれ以外の考えを拒絶してしまえばそれは死角を忘れた目視と同じであり、物事を正しく判断できていないということになるでありましょう。
思います。プーチンのウクライナ軍事侵攻がそれではないでしょうか。プーチンはウクライナ侵攻をナチスからの解放と言っていますが、それはプーチンの独断であり単なる思い込みでありましょう。プーチンはまさに思考において死角無視に陥っていると言うべきです。しかし、私たちも知らず知らずこの死角無視をしているのではないでしょうか。
今回のカギ紛失でもう一つ思ったことがありました。それは無意識の動作ということです。そもそも私がカギを見つけられなかったのは無意識に脱衣かごに入れたからです。考えると私たちの日常の動作は殆ど無意識ではないでしょうか。決まりきった動作は敢えて意識しなくてもできるということがその根底にあるのだと思います。
ではその無意識動作の弱点を克服するにはどうしたらよいのでしょうか。考えるとやっぱり確認しかないでしょうか。電車の車掌さんは出発できるようになると前方を指差す動作をしますね。あれこそ確認の意識化でありましょう。歳取れば取るほどしまい忘れなどがないように動作の意識化が大事とつくづく思いました。
<車掌確認動作>
指差し(動作)して「よし!」(喚呼)
発車!
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