空即代謝 №704

 空即代謝

令和4年11月17日

 先日食事をしながら思ったことがありました。食事するには食べ物はもちろん、食べるための器や箸が必要です。それらは食事が終わったらそれぞれを片付けなくてはなりません。食卓の上には様々なものが残されます。食器をはじめトレーなどプラスチック類、容器の蓋を抑えていた輪ゴムに至るまでそれぞれを片付けなくてはなりません。

 片付けなければゴミ屋敷。そうならないためには洗うものは洗って直し(戻すこと=山口言葉)、ゴミは分別しなければなりませんが、これって生体内の代謝と同じではありませんか。家をゴミ屋敷にしないための行動は生体を維持していくための代謝、“生活代謝”と言えるでありましょう。そう思って作ったのが次の法語です。

     人体細胞六十兆     六十兆の細胞は 

     瞬々変化続生死     瞬々生死を繰り返す

     流転生死即無常     流転の生死は無常なり

     無常即空即代謝     無常は空なり代謝なり

 私たちの身体は60兆の細胞でできていると言われます。しかし、その60兆の細胞は恒常不変ではありません。毎日沢山の細胞が死に沢山の細胞が生まれています。その生と死が私たちの身体を一定に保っているのです。私たちの身体に生と死という変化が繰り返されているからこそ平衡を保っていられるのです。

 以前にも紹介しましたが、生物学者、福岡伸一さんは「生命が変わらないために変わり続けている」ことを「動的平衡」という言葉で表していますね。福岡さんは私たちの身体自体も「通り過ぎつつある分子が一時的に形作っているにすぎず、そこにあるのは流れそのものでしかない。その流れ自体が生きているということ」なのだと言われます。

 私が法語に言う「生死」も流れです。流れはそのままが無常です。瞬々に生死を繰り返す細胞は無常そのままであり、それは私たち自身が無常の存在だということです。何時だったか空とは無常だと申し上げましたが、私たちが生活代謝を繰り返すのも無常であり空であると言えると思います。空とは生きていること、ではないでしょうか。


「食う寝る坐る」これ空なり。


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