お遍路で考えたこと①人生は旅 №705

 お遍路で考えたこと①人生は旅

令和4年11月18日

    (いや)(だに)に上がる階段600段頼りの手すりなけりゃイヤダニ~ 

先月10月末またお遍路に行ってきました。今回も主体はバス遍路ですが弥谷寺のように門まで歩いてから本堂はさらに見上げるほど長い階段というところが何か寺かあって上のダジャレ歌そのまま手すりを頼りの上り下りにひーこらでした。

考えれば、私お遍路にもう何回行ったことでしょうか。40日かけて通し打ちをした20年前のお遍路は真夏だったこともあってそのキツさに「もう二度と来るもんか」と思いましたが、それに比べてはるかに楽なそれ以後のお遍路も決して楽しいばかりではなかったと思います。

なぜ私にとってお遍路が楽しいばかりではないのか。それは自分自身の旅の意識が関わっていると思います。私の旅は若い頃から観光は二の次。その多くは「旅の重さ」を感じる旅であったように思います。それを意図したつもりはありませんが、結局は人生の旅であったと思うのです。「人生は旅」という思いはそこに生まれたと思います。

旅、特にお遍路を思う時私はそこに山頭火が重なることを否めません。漂泊の詩人と言われるほど山頭火の生涯は旅また旅でした。もちろんお遍路もしています。いつでしたか、33番札所雪蹊寺の入り口には「人生即遍路」と書かれた句碑があることを申し上げましたね。山頭火にとって「人生は遍路」が実感だったと思います。

 奇しくも83年前の昭和1410月末、山頭火は今回の私たちと同じ辺りを回っています。その折の句は寂しいものが多いです。「濡れて荷物のさらにおもたく、旅」「しぐれて山をまた山を知らない山」「泊まるところがないどかりと暮れた」「生きの身のいのちかなしく月澄みわたる」「いちにち物いはず波音」「秋風こんやも星空のました」


 これらの句を読むと泊まるところもない山頭火の旅の寂しさが否応なく胸を刺します。でも山頭火の旅の寂しさは私たちの旅の寂しさ人生の寂しさです。人生は旅です。嬉しいこと楽しいことばかりではありません。悲しいこと苦しいことも避けられません。そう明らめて元気に過ごす。それが人生の旅だと思います。




人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には

虹も出る 歩いてゆくんだ しっかりと

自分の道を ふみしめて

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