観音寺、今年の思い №712

 観音寺、今年の思い

令和5年1月3日

 たより、年頭号では当観音寺の今年の抱負についてもお話しするつもりでしたが、国への要望と苦言が先になって寺のことについては何も申し上げられませんでした。寺は本来みんなの寺であるべきだと思いますので、そのためにはどうしたらよいのかをお話し、改めて皆さんのご意見も聴かせて頂きたいと思います。

 昨年11月にこのたより№703号で「寺の未来」を書きましたね。寺の未来を考える3人の識者の意見を紹介しましたが、それを読んで神奈川のKさんと私のカミさんが意見を寄せてくれました。Kさんは3人の識者の中では現実と今後の過疎化などの社会的変化を考えると寺社の見通しは暗いと言われた石井国学院大教授の意見に近いということでした。

 その上でKさんは今後寺社は「全く新しい形態を考え、むしろ少子化を奇貨として新鮮な提示をしてみてはと考えます」と提言下さいました。Kさんおっしゃる通り、否応なしの少子高齢化で寺社ばかりでなく社会全体が変化を余儀なくされています。出来ていたものができなくなることによる縮小や衰退、消滅を覚悟せざるを得ないのです。

 カミさんも上のことを承知した上で「訪れた方々の心の拠り場となるようなあり方をお寺側から開放していけばいいかも知れませんね。そんな中から祈りの機会・場として人々の心に根差していくように思います。心の拠り所を求めているお年寄りはたくさんいらっしゃるのではないかしら。がんばれ!お寺」と励ましてくれました。

 Kさん、カミさんが寄せてくれた助言に私は大変勇気づけられました。寺の現実は明るいものではありません。しかし、その現実から逃れることも出来ません。とすればKさんおっしゃるようにそれを奇貨とし、カミさんが言ってくれたように寺本来のあり方、みんなの心の拠り所になることを目指すしかないと思いました。


 結論です。私はこの観音寺はみんなのお寺になって欲しいと思います。住職もお経もそっちのけ。誰でも自由に来てお茶を飲みながら話したいこと聴いて貰いたいことを話したり聴いたりできる場所にしたいと思います。それを実現して下さるのはお詣り下さる皆さん。私はそのお手伝い。これが今年の私の願いです。


「えっ、このお寺住職いるの?」

これが私の願いです。



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