母の願い
令和5年1月17日
最近しきりに母のことが思われてなりません。自分の生みの母もそうですが、広く世の母、母という存在について思うことが多いのです。私たち人間はむろんのこと、トリムシケモノたち一切の衆生、一切の生物は母あってこの世に生まれてきます。この母という存在は一体何なのか。そのことがしきりに思われるのです。
仏教では生物の生まれ方の違いによって胎生・卵生・湿生・化生の4つに分類し、これを四生と呼んでいます。このうち化生(何もないところから生まれる)を除けば、胎生(母親の胎内から生まれるもの)はむろん、卵生(卵から生まれるもの)も湿生(じめじめしたところから生まれる虫など)も母あってこその誕生と言えます。
一切の生き物が母から生まれるということは命がつながるということです。生き物はすべて母によって命のつながりを生きるのです。命のつながりを担う母は本能的な願いを持っているに違いありません。我が子が無事成長して子がまた命のつながりを果してくれること。そのために平和な一生を送ってくれること。それこそが母の願いではないでしょうか。
宇宙万物従母成 宇宙のすべては母に成り
一切衆生従母生 衆生すべては母に生まれる
母唯一祈願共存 母の願いはともに在ること
共存共在即和平 世界のみんなが平和であること
今回の法語は上に述べた母の願いを作詩しました。父母恩重経に「若し子遠く行けば、帰りて其の面を見るまで、出でても入りても之を憶い、寝ても寤めても之を憂う」という一節がありますが、母が子を思う気持ちはまさにこの通りでありましょう。母はたとい自分の命を捨てることがあっても子の命を守ろうとするのです。
ロシアのウクライナ侵攻によって多くの命が失われました。我が子を戦場で失った母もいるでしょう。幼い我が子を砲撃で失った母もいるでしょう。命のつながりを使命とする母の嘆き悲しみは尽きることがありません。ウクライナに平和を、すべての母に安心を、と祈らざるを得ません。
這えば立て 立てば歩めの 親心
われに寄りくる 年は忘れて
二宮尊徳
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