続・ウクライナ一年 №721

 続・ウクライナ一年

令和5年3月2日

このたより前々号でウクライナへの侵攻を止めていないプーチンは仏教から見れば「殺生」と「偸盗(ちゅうとう)」という大罪を犯していると申し上げました。この二つの罪は人としてしてしてはならない罪であることを申し上げました。それを知ってか知らずかプーチンは軍事的侵攻を止めようとしていません。悲しみと怒りが増すばかりです。

 プーチンがウクライナへの侵攻を止めないのは一つには止めたくても止められない泥沼に陥っているからではないでしょうか。プーチンには侵攻してすぐにロシアが勝利するという思惑があったに違いありません。しかし、その予想に反して戦争が長期化する中で泥沼化を承知しながら侵攻を止められないでいるのだろうと思います。

 いまこの時、ウクライナとロシア双方の間に立てる国があれば事態の打開ができるかも知れせん。しかし、残念ながらいま仲裁できる国はありません。本来であれば日本こそがその役割を果たすべきですが今の日本にはその力も思いもありません。このままではずっと戦争が続いてしまうのではないかというのが現実なのです。

 私は泥沼に落ち込んだプーチンに翻意を促すことができるのは結局ロシア国民しかいないと思います。ロシアではいまウクライナの詩人の碑に献花することさえ警察が監視していると言います。そんな中で人々が反戦平和の声を上げることが難しいことはもちろんです。でも世界の平和のためにロシアの国民が反戦行動を起こして欲しいのです。

 折りしも31日の毎日新聞の論点(続くウクライナ侵攻)で浜 由樹子(静岡県立大准教授)さんが「結局、ロシアに戦争を止めさせるためには内側からの変化を待つしかないかもしれない。反戦意識はじわじわ広がる」と述べておられるのを見ました。事態打開のためのプーチンの翻意はロシア国民が迫るしかないのです。

 

 浜さんは上に続けて「ロシア国民は戦争を心底続けたいわけではない。だからこそ、内発的な変化の兆しを見逃してはならない」と言っています。その通りなのです。私たちは日本国内においても反戦の動きを活発化させロシア国民と連帯して悲惨な戦争を終わらせなければなりません


「私は負けない。私は強い」

<爆撃で両親を失ったウクライナの14歳の少女の言葉>

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