「沈黙の負債」 №728

 「沈黙の負債」

令和5年5月5日

 ロシアがウクライナに武力侵攻して一年二ヵ月。非力の私たちはくロシアの暴挙に怒りと悲しみを覚えるばかりで日が経っています。ロシアは武力侵攻の理由を「ナチからの解放」と言いましたが、これが全くの口実であることは誰が見ても明らかでありましょう。しかし、そのロシアと全く同じことを日本は過去にしたことがあるのです。

 十五年戦争と言われるものがそれです。1931S6)年の満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争で敗戦に至る1945S20)年までの足かけ15年間、日本は白人帝国主義からアジアを開放して大東亜共栄圏を建設すると称して中国や東南アジア諸民族への侵略戦争を行いました。それはいまロシアがウクライナにしていると同様の侵略戦争だったのです。

 その戦争中、僧侶は何を考え何をしたのか。神奈川県に住む畏友Kさんが秦野市の会報「緑のはだの」に寄せられた論考「沈黙の負債」を送って下さいました。そこでは出征した僧侶たちの軍事郵便や仏教僧たちの動きから戦時下の僧侶が何を思いどんな行動をとったのかが考察されていますが、まさにそれはいまの私たちへの問題提起なのです。

 Kさんは出征僧侶も意識的には一般兵士と変わらず戒律意識や反戦思想は見られていないと指摘する一方、内地の各仏教教団は生き残り戦略で物心両面からの全面的な戦争支援をするようになったと言います。Kさんはそこに特高や憲兵隊に象徴される抗いようのない時代の圧力、黙さざるを得ない苦衷と身の危険があったはずと言われます。

 しかし、そんな状況にあっても戦争批判、反戦を訴えた二人のことをKさんは書かれています。一人は軍備縮小・全廃を主張した新興仏教青年同盟の首班を務めた妹尾義郎という人、もう一人はあの植木等さんの父、植木徹誠さんです。植木徹誠さんは一貫して反戦を貫き、出征する青年たちに「卑怯者と言われても死ぬな」と言ったそうです。


 私はいま改めて「沈黙の負債」という言葉の重さを思います。ロシアでロシア国民がウクライナ侵攻反対の声を上げられないのはロシアが恐怖政治化しているからです。しかし、声を上げない限り戦争は止まず、それはロシア国民の負債になってしまうことでありましょう。それはいまの私たち日本国民の問題でもあります。

よくも悪くも「時代は傾き」。

その傾きをつくるのは紛れもなく国民である

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