人生の「勝ち組」 №749

 人生の「勝ち組」

令和5年10月10日

勝ち組負け組、という言葉がありましたね。元々は日本が敗戦した時、ブラジルに移民していた人が日本は戦争に勝ったという人と負けたという人の二つに分かれたことによっていますが、最近はこの言葉はもっぱら人生の勝ち負けを評して使うことが多くなりました。人生成功者は勝ち組、失敗者は負け組、という訳です。

 ちょっと以前のことになりますが、仁平寺様がこの勝ち組負け組のことを話して下さったことがありました。覚えておいでの方もあるかも知れません。仁平寺さんはその時、葬儀でどのように見送られるかでその人の人生における勝ち負けが判断されるように思うと言われたのです。

 話はこうでした。葬儀に立ち会っていると、ささやかな式ではあっても参列した人が一様にその人の死を悼み別れを惜しむ葬儀がある一方、沢山の人が参列し誠に盛大な葬儀でありながら死を悲しむ人は僅かしかおらず大半は義理儀礼的に参加しているに過ぎないという葬儀もあるというのです。

 いやまたなんでそんな話を思い出したかと言いますと、先達て仁平寺様のお母上様が亡くなってご葬儀があったからです。仁平寺様のご意向でむしろささやかなご葬儀でしたが、その式中、仁平寺様の小6になるお嬢さまがずっと泣き通しだったのです。特に最後のお別れ、お棺に花を入れるときは「おばあちゃん有難う」と号泣でした。

 私もそのお嬢さんの声に思わず涙をこぼさずにはいられませんでしたが、その時、私は仁平寺様がお話下さったこと、仁平寺様のお母上様は勝ち組の人生を送られたということをはっきりと実感したのです。自分の死を嘆き悲しんでくれる人がいるということがどんなに有難く得難いことかと思ったのです。


 近年、葬儀は儀式的になりつつあると思えてなりません。しかし、葬儀は悲しみを素直に表わすことが大切ではないでしょうか。それが亡き人のためではないでしょうか。この度の仁平寺様のお母上様のご葬儀でのお孫様の姿に私は葬儀の原点を教えられた気がしてなりませんでした。


皆の衆皆の衆 嬉しかったら

腹から笑え 悲しかったら 

泣けばよい



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