核のごみ №748

核のごみ

 令和5年10月8日

いま痛切に思っていることがあります。「核のごみ」です。先月27日、長崎県対馬市の

比田勝(ひだかつ)尚喜市長が原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のごみの最終処分場の候補地選定を巡り、この第一段階となる文献調査を受け入れない意向を表明したことです。

 比田勝市長は「市民の間で分断が起こっており市民の合意形成が十分でないと判断した」と言われましたが、その通りだと思います。この問題には住民の分断がつきものです。市議会は請願時に賛成10反対8と賛成が上回っていますから市長にとってはまさに苦渋の決断であったに違いありません。

 賛成派は市長の決断を「議会軽視だ。無責任だ」と言っているようですが、私は市長の決断を是としたいと思います。「市民やこれから育つ子どもたちの将来を考えた」という市長の言葉はその通りだと思われてなりません。核のごみは一刻で終る問題ではありません。対馬市民の生存を脅かすことさえあるかも知れないのです。

 比田勝市長は文献調査を受け入れた時の交付金については「ひとたび風評被害が生じれば20億円では代えられない」と言っていますが、これもその通りでありましょう。受け入れ派は文献調査時の交付金20億円に期待しているのでしょうが、島の産業である漁業や観光に風評被害が起こることを考えていないのでしょうか。

 核のごみのことを考えていてつくづく思うのは原発が如何に中途半端、人間の手に負えないものであるかということです。福島原発を見ての通り、事故原発の廃炉の目処もたっていません。汚染水は溜まり続けています。周辺の町や村が以前のように復興することも絶望的と言っていいでありましょう。


 ところが、岸田首相は原発の稼働延長ばかりか原発の新設さえしようとしています。ドイツは福島原発の事故を見て脱原発を決めました。着々と脱原発を進めています。この違いは一体何でしょうか。私たちはこの状況を傍観していてよいのでしょうか。岸田首相がしていることを許してよいのでしょうか。



「人間が天の火を盗んだーその火の近くに生命はない」  

     高木仁三郎


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