イスラエル・ハマス戦闘を憂える №754

 イスラエル・ハマス戦闘を憂える

令和5年11月16日

ウクライナとロシアの戦争が停戦になっていないのに今度はイスラエルとハマスが戦争になりました。この1か月余り、イスラエルの攻撃は容赦なくガザ地区を襲い、これまでにガザでは1万人以上もの死者が出ています。空爆は病院や学校、難民キャンプまでに及び沢山の子どもたちが犠牲になっていることに胸の痛みを覚えてなりません。

 そうしたイスラエルに対して世界各地で攻撃停止を叫ぶ声が高まっていますが、米欧の多くの国はイスラエルの自衛権を支持して戦闘が収まる気配はありません。憎しみの応酬でしかないこの戦闘をどうしたら終わらせることができるのか。そう考えていて二つのことを思いました。

 その一つはイスラム原理主義です。ご存知のようにハマスは国ではありません。イスラム原理主義の組織です。ハマスも当初は難民や貧困層のための社会活動団体として発足したようですが1987年以降は武装闘争に転換してしまい、以来、シャリーア(イスラム法)に基づくイスラム社会への復帰を目指す過激な組織になってしまったのです。

 私は原理主義そのものを悪いとは思いません。しかし、それが宗教の中で組織化されると過激先鋭化、武力闘争化してしまう弊害を生じると思います。その端的な例がハマスでありタリバンではないでしょうか。ハマスはまずこのことを思うべきです。攻撃と報復は憎悪と対立の連鎖しか生まないのです。そこに平和はありません。

 思ったこと、もう一つは「共存」です。この4年以上、私たちはコロナウイルスに翻弄されてきました。私たちがこのコロナウイルスに学んだことは共存でした。絶滅させることができないウイルスとは共存するしかないというのがコロナの教訓だったと思います。このことは異民族同士でも全く同じだと思うのです。


 実はイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)には1993年に互いに共存する劇的な合意(オスロ合意)がありました。この和平プロセスを2002年に崩壊させたのはイスラエルですから今回の戦闘の責任はイスラエルにあるとも言えます。共存がどんなに大切かイスラエルも考えるべきでありましょう。


「彼、われをうちまかし

 彼、われをうばえり」かくのごとく

 こころ執せざる人々こそ 

 ついにうらみの(やす)(らい)を見ん

          (法句経)


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