「共存を祈る会」同志募集
令和6年1月1日
令和3年のこのたより、1月1日号で「人類共存元年」ということを申し上げました。その前年、令和2年に発症したコロナ禍が瞬く間に全世界中に広がり、私たちは「3密」を避けながらアマビエに頼るしか手の打ちようがありませんでした。コロナウイルスは人間が撲滅できる存在ではなかったのです。
その時、私が4歳の孫娘に言われたことが「コロナさんに会わないでね」という言葉でした。コロナウイルスに罹患すればただではすみません。時には死に至ります。そんなコロナウイルスから身を守るためにはコロナウイルスにかからないことしかありません。孫娘はそのことを教えてくれたのです。それが「人類共存元年」でした。
私はその時思いました。コロナウイルスはこの地球上のあらゆる生物の共存を教えるために出現したに違いないと。地球上の生物はみな意味なくして存在していない。コロナウイルスと人間のように互いの利益に反するものがあってもそれぞれはそれぞれの存在意義を持っているのです。
私が共存ということを思った時、まず第一に思ったことが人類共存でした。しかし、この3年で私たちは共存が進んでいるでしょうか。否々ですね。ロシアによるウクライナ侵攻、そして昨年からはイスラエルとハマスが戦闘になってしまいました。共存どころか互いのせん滅を意図した悲惨な戦いは終わる気配がありません。
私はいまこの時、人類の共存を祈る同志を募りたいと思います。私たちに出来ることは祈りしかありません。しかし、皆さんが「共存を祈る会」の自発的会員になって下さり、共存を祈る祈りの輪が百人千人万人と拡がっていけばそれは必ず大きな力になるに違いありません。私が祈りの同志を募る所以です。
皆さん、観音寺「共存を祈る会」の同志になって下さい。そして一日一回時間を決めて「人類が共存しますように」と祈り、世界の平和を願って下さい。私たち一人ひとりの小さな祈りが大きな輪になって拡がっていけば、そこに必ず人類平和共存への力が生まれます。一人ひとりは小さな存在でも大きな力を生むに違いありません。
祈りの波紋は消えることなく拡がっていきます。
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