ツバキ問答 No.122

平成23年12月18日

ツバキ問答




 これはSさんから聞いた話です。先達てSさんがツバキを買ってきて玄関前に仮活けしておいたところ、知りあいがやってきて「まあ、サザンカこんなに沢山どうしたんねん」と聞かれるので「これツバキです。お花屋で買うてきましたん。」とお答えしたのだそうです。すると、その方「ツバキ? ツバキはまだ咲かん。これはサザンカじゃ」と言うのだそうです。

 そのツバキはお花屋から求めてきたのですし、Sさんはご自分でもお花を習っていてツバキとサザンカの違いはご存知ですから、ツバキにも沢山あって早く咲き始める種類もあることを話したのだそうです。ところが、その方は「いいや、これはサザンカじゃ。サザンカに間違いない」と固執して譲らなかったのだそうです。

 確かにツバキという字は木偏に春ですから春咲く花の代表といってよいのでしょうが、種類も多くもともと暖地に自生している木ですから花の時期が長くて、このあたりでは暮の今ごろ普通に咲いていることはみなさんもご承知と思います。ただ、同じツバキ科のサザンカも晩秋に咲きますから見間違うことの多い花かも知れません。

 しかし、このSさんの話で私が思ったことは我見の怖さでした。サザンカと言い張った人はツバキは春の花という固定観念があったのでしょう。 幼少時代に見慣れたツバキが春になって咲く種類であったのかも知れません。しかし、Sさんが言われたようにツバキには11月には咲き始める早咲きも少なくありません。固定観念に拘れば判断を誤ることになるのです。

 私たちが自分の人生の中で経験できること、知識として獲得できることなどたかが知れています。しかし、私たちはその僅かな体験や知識で物事を判断しがちです。それは結局我見に過ぎません。井の中の蛙、葦(よし)の髄から天井をのぞく、ことです。誠に残念ながらツバキをサザンカと言い張った人は我見を改めることが出来なかったと言えましょう。

 しかし、私たちはその人を笑うことはできません。私たちも同じように我見に捕らわれているのです。真実・正当と信じながら実は独りよがり、迷妄のうちに言動していることを思わなければなりません。反省させられる話でした。

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