ものごとは… №147

平成24年7月1日

ものごとは…

新幹線 のぞみ瞬時に 過ぎし後 架線しばらく 揺れて静まる

 新下関駅で列車を待っていると、小倉方面から近づいて来たのぞみが目の前を轟音とともに通り過ぎて行きました。のぞみは見る見る遠ざかって小さくなっていきます。が、目を戻してふと架線を見ると架線はまだ激しく揺れているのです。しかし、見ているうちに揺れは次第に小さくなり、やがて元のように静かになりました。

 Eさんは闘病二年のご主人を亡くされました。一家は娘さんと三人、仲睦まじくお過ごしだったのですから、 覚悟したとはいえご遺族の愁傷悲嘆がどれほどであったかは思ってなお余りあります。しかし、Eさんはその悲しみを表に出さずご主人の葬儀を営まれたのでした。その健気さが逆に心配になるほどでした。

 そして二か月、そのEさんから手紙を頂いて私はほっと安堵しました。手紙には強く生きてくれというご主人の遺言の通り、これから娘さんと二人、ご主人もびっくりするほど颯爽と歩いてメリー・ウイドゥを目指します、と書かれていたからです。私はEさんがご主人の死の悲しみを越えて生きる力を回復されたと思いました。

 のぞみが通り過ぎた後の架線を見ていて私は思いました。世のものごとはみなこのようにあるのではないかと。 架線はのぞみの通過前から揺れ始めていたに違いありません。そして列車の通過中は激しく振動し、通り過ぎた後その余韻を経て静まったように、私たちの人生は揺れと静止を繰り返しているのでしょう。

 冬のさ中に春の気配が生まれ、夏のさ中に秋が顔を覗かせるように、そしてまた人間の世界も栄華と絶頂のなかに衰退と滅亡が潜んでいるように、ものごとは常に変化して止むことがありません。寒暑も一時ならば苦楽もまた一時です。止まない風はなく朝の来ない夜もありません。その変化して止まない人生を肯定的に生きることこそ私たちの務めかも知れません。

世は定めなきこそ いみじけれ
~兼好法師「徒然草」~


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