月の光 №180

平成25年2月4日

月の光


          寒の木の その小枝まで くっきりと 地に影しるす 上弦の月
      十六夜の 月の光に ()につけば この世ならぬぞ このさやけさは

 冬の月を寒月といいます。寒中に限らず冬の月を指して寒月と言います。その言葉には冷たく澄んだ夜空に輝く月の凛とした美しさがあります。その美しさは春や秋の月にはないすさまじい美しさと言えるのではないでしょうか。上の二首はその寒月の光を詠みました。一首は上弦の月、もう一首は十六夜の月です。

 申し上げるまでもなく上弦は満月に至る半月を言いますが、その半月が大変明るいことに改めて驚きました。葉を落とした木々のその細い枝まではっきりと地面に影をつくることが出来るほどの明るさなのです。しかし、月の光の影は日の光の影とは全く違います。共にはっきりした影でありながら存在の持つ陰と陽、明と暗の差による印象は真反対でありましょう。

 もう一首、十六夜の月は十五夜の翌日ですから中天の月は皓皓と冴えわたります。宵過ぎて寝室に行くと白い月の光が床に差し込んでいました。それは思わず息を呑む景色です。その月の光のさやかなこと。一瞬、現実とは思われない錯覚を覚えるほどでした。月の光にはこの世ならぬ幻想を醸し出す不思議な力があるのだと思います。

 道元禅師は月を見るのがお好きだったと言います。そのお姿を最もよく伝えていると言われる肖像画は教科書にも載っている有名な「月見の像」です。月は悟りの象徴に例えられますが、確かに一片の雲もない夜空に澄んで輝く月はその美しさ、清らかさと同時に孤高にして揺らぐことのない悟りの境地そのものと言えるのでありましょう。
 
 思えば道元禅師は、その夜空に澄む清らかな月にご自分のお気持ちを重ねていらっしゃったのではないでしょうか。ご自身の何ものにも侵されることのない澄んで清らかな気持ちを月に重ねてお出でではなかったでしょうか。凡夫我もせめて月の光に一瞬でも清らかさを得たいと願ってやみません。


        仏の真法(しんほっ)(しん)
        なおし虚空(ごと)し 
        物に応じて形を(あら)はす 
       水中の月の如し
          正法眼蔵「都機(つき)」~

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