生きているということは
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きているということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあいやがて別れの日
その時に悔やまないように
今日を明日を生きよう
先達て歌謡番組を見ていたら上の歌、「生きているということは」(作詞永六輔、作曲中村八大)が歌われていました。聴いていてその昔、私がサラリーマンになった頃のことを思い出しました。仕事帰り、先輩と一杯やって飲み代を払おうとすると、先輩から「俺との時はいい。お前が先輩になったら後輩におごってやれ」と言われたことを、です。
私がその先輩の教えをどの位できたかとなると忸怩たる思いがありますが、歳と共に別の意味で、この歌の通り、生きているということは借りをつくること、その借りを返すということ、という思いが強くなりました。この歌の二番の後に「人は一人では生きてゆけない。誰も一人では歩いてゆけない」という詞がありますが、ほんとにそうだと思うのです。
仏教の考えでは、私たち人間は生まれる時まず自分自身が「私は人間に生まれたい」という強い願望を持たなければならないとされています。ということは、そこに既に「人間に生まれて何かをしたい。何かをしなければならない」という思いがあることになります。それなくして生まれたいという願望を持つことはないはずだからです。
私は人の一生はむろん、生死の繰り返しが人生の借金の返済ではないかと思います。一人では生きてゆけない、ということは助けられるということです。頂いた恵み、助けられた恩を返すのが人生。そして返しきれなかった恩を次生以後に返そうとするのが生まれ変わりではないでしょうか。そして次には自分が人を助けてあげること、恵みを差し上げること。それが「布施行」なのだと思います。
一句一偈の法をも布施すべし、
一銭一草の財をも布施すべし、
ただ彼が報謝を貪らず、自らが力を頒つなり
~「修証義」~
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