一生懸命
つい先ごろ、大相撲の大鵬関が亡くなりました。72歳ということでした。まだお若い逝去を残念に思います。といっても、若い方々にはその現役時代はむろん、大鵬という名前すら知らないという人もいるかも知れません。しかし、未だに破られていない優勝回数32回という偉業とともに1960年代のシンボルであったことは広く語り継がれていくでありましょう。
その追悼の番組の中で、大鵬関が「何事も一生懸命やってきてよかった」と述懐されている映像がありました。不世出とも言われる大横綱にして、いや、だからこそかも知れませんが、「一生懸命」という言葉を聴いて感銘せざるを得ませんでした。一生懸命の大切さは私も全く同感。星祭のこの時、この言葉を振り返りたいのです。
一生懸命とはありふれた言葉です。しかし、言うは易く行うは難し、の言葉通り、一生懸命ほど実践が難しいものはないとも思います。皆さんはこの言葉から何を連想されるでしょうか。我慢、忍耐、真剣、まじめ、継続等々、さまざまなことを思われるでしょう。しかし、どの言葉もその実践には並々ならぬ努力が必要です。
例えば我慢。大鵬関が別のところでこう言われています。「相撲っちゅうものは我慢に我慢を重ねて辛抱したものが勝つんだな。我慢をあきらめたらもう負けだ」と。私はこの言葉に一生懸命の真髄があると思います。懸命とはまさに命を懸けること。それは我慢なくしてはあり得ません。必死にこらえることが我慢懸命なのです。
例えば真剣。文字通り真剣の勝負であったらあなたはどうしますか。竹刀ではなく本物の刀での勝負になったらどうなりますか。それは切るか切られるかです。死ぬか生きるかです。絶体絶命。一瞬も気を抜くことは出来ません。一瞬の油断で命を失います。それが真剣勝負です。真剣とは気楽な言葉ではありません。
大鵬関はその晩年、若い力士が個性的でなくなり稽古量も少なくなっていることに「日本は豊かになりすぎた」と嘆かれたそうです。重い言葉です。私たちは自分の人生を一生懸命作っているか。豊かさに溺れていないか。改めて振り返りたいと思います。
精進こそ不死の道
放逸こそは死の径なり
いそしみはげむ者は 死することなし ~「法句経」~
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