土佐源氏 №200

土佐源氏
平成25年6月1日



                                  土佐源氏 
  
 何処(いずこ)にも 山あり川あり 住処(すみか)あり 人あり人の 世過ぎありけり
  
 前号の続きです。お遍路をしていると、時に遥かな山里や町から遠く離れた辺鄙な場所を行くことがあります。そんな時、自分が住んでいるところを棚に上げて、こんなところにも人が住んでいるんだという感慨に襲われることがあります。上の歌のように今回のお遍路でも幾度か人々の暮らしについて思うことがありました。
 
 歩き始めの日、昼食にレストランに寄りました。町から遠く離れた一軒だけの食堂です。そこに中年の夫妻が食事に来ていました。いかにもつつましやかな印象の二人を見ていて、私はこの夫婦が月のうち何回か、ここで食事をすることを楽しみにしているのではないかと思いました。二人の様子にささやかな楽しみに生きるほのぼのとしたものを覚えたのです。
 
 三日目、四万十川沿いの小さな集落の細道を辿っている時には、家の軒先で話し込んでいる年老いた二人の女性を見ました。声をかけると一人が小さな声で答え、後は黙って見送ってくれました。きっと二人は十年一日、その集落で長い年月を過ごし、そしてまたこれからも同じように暮らしていくのでありましょう。
 
 今回の出発寺、岩本寺へ車で移動中、梼原(ゆすはら)という町を通りました。坂本龍馬脱藩の道が残っているそうですが、それだけに鄙びた山中の小さな町です。ところが、そこが宮本常一さんの書いた「忘れられた日本人」にある「土佐源氏」の舞台であることを博学のKさんに教えて頂きました。その一編を私は読んでいなかったのです。
 
 「土佐源氏」は橋下の小屋掛けを住まいとする盲目の老爺の話です。学校にも行けぬててなし子が長じて博労となり、子ども時代に子守の少女らと始まって以来の自らの性の遍歴を語る話ですが、この一編を読んでも自分の知らぬところに自分の知らぬ人生があることをしみじみと思います。この盲目の老爺の人生の結論は「女だけはいたわってあげなされ」でした。
 
 私も皆さんも“こんなところに住んでいる”人生の遍路人。最後は何を結論に出来るでしょうか。


 


  眼の見えぬ三十年は長うもあり、みじこうもあった。
  どの女もみなやさしいええ女じゃった。     
                 「土佐源氏」









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