「おくりびと」再考 №208

「おくりびと」再考 №208
平成25年 7月 8日


     「おくりびと」再考

 
 先日、テレビで「おくりびと」がありました。2008年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した例の映画です。それを観て当時は気づかなかった言葉(セリフ)に改めて感銘することがありました。この映画は納棺師というあまり知られなかった仕事を扱った作品として話題になりましたが、いま再び私たちが考えるべきことを提起していると思われてなりません。
 
 思ったセリフは二つあります。その一つは納棺の会社、NKエージェントの社長、佐々木生栄(山崎 努)が新入社員、小林大悟(元木雅弘)に焼き白子を勧めながらつぶやく「生き物が生き物食って生きている。困ったことにこれ(白子)がうまい」という言葉です。以前どうしてこの言葉に気づかなかったのかと思うほどジンときました。
 
 生き物が生き物を食べることは当たり前のことです。あまりに当たり前で私たちは普段そのことを意識することさえしません。しかし、実はそれがどんなに有難いことかと思います。生物の宿命とはいえ、私たちは人間以外の動植物の命を頂いて生存しているのです。これこそがお蔭ではないでしょうか。
 
 しかも私たちは、生存のためばかりか、その食べ物に美味しさを求めてやみません。生存のためだけであれば美味しくなくてもよいはずですが、美味を求めて必要以上に食べるようになりました。「困ったことに」というつぶやきに人間の原罪をも思わせる響きがありました。生き物が生き物食って生きている、という言葉は忘れてはいけない言葉ではないでしょうか。
 
 言葉のもう一つは、鶴の湯の常連客、火葬場職員の平田正吉(笹野高史)が、急逝した鶴の湯の女主人、山下ツヤ子(吉行和子)の火葬を担当した時の言葉「死は門だ。次へくぐりぬける門だ」という言葉です。これも最初に見た時、どうして記憶に残らなかったのかと思うほど今回は印象深く響きました。

 いつも申し上げていることですが、人間は肉体の死で終わりではありません。人間は肉体の死の後また魂の修行があり、そして再び肉体を持った人間として生まれ変わる輪廻する存在なのです。「死は門」という言葉が、火葬場の職員としての言葉だけに重みを感じました。




      一代の 守り本尊 たずぬれば
        朝夕食べる 飯と汁なり
            ~大田蜀山人~








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